皆さんは小林克也さんを知ってますか?
1970年にラジオDJデビュー、正確な英語交じりのトークで一躍有名になり、ミュージシャンとしてもYMOとのコラボ(60歳前後、私の同世代なら「増殖」覚えてますよね)などでヒットを放ち、現在御年80歳。
なんと今でもローカル含め8本のラジオ番組と、BSでベストヒットUSAのテレビ番組を担当。
東京ローカルのFM曲では週1回9時間ぶっ通しの番組を持っているそうで、「スーパー爺」としか言いようがありませんね。
そんな小林克也さんの作品に「ナムアミダブツIN九品仏」という楽曲があります(以下一部ネタバレあり)。
二人のじいさんが九品仏の前で聞いた「仏の声」。
目を閉じて最初に見える言葉こそがあなた自身、という仏の声で最初のじいさんが見えたのは「戦争反対」。
しかし、もうひとりのじいさんに見えたのは正反対の「やっちゃおう」。
二人のじいさんに仮託した、一人の人間の中にも、集団にもある二つの声の対比がテーマ。
(作品の素晴らしさ・面白さは実際聞いてもらうしかないのでぜひYou Tubeで確認してほしいです)。
世間的には、身近なコロナウィルスのことばかりでなく、安倍元首相が暗殺されてしまったり、遠く東ヨーロッパではロシアがウクライナに進攻、多数の市民が死傷したりと、私達の心を深く傷つける出来事が続きます。
「悪いやつがいなくなれば世の中は平和になる」
ことがそう単純なものではないことは、さきほどの九品仏の歌のとおり、個人(私やみなさん)や集団に、「戦争反対」と「やっちゃおう」の二つの声があることは(残念ですが)自明の理。
では、「しかたないですネ」「悲しいですネ」と手をこまねいているしか方法はないのでしょうか??
具体的には、悲しくつらい思いをしている人のために、ユニセフやWFP、国境なき医師団など信頼できる機関に少額でいいから時々寄付をする事は大事だと思います。
しかしそれ以上に大切なのは、私たち自らが「やっちゃおう」の内なる声に負けないことじゃないかと思います。
あの虚無主義(ニヒリズム)といわれた哲学者ニーチェでさえ、著書「ツァラトゥストラはこう語った」のなかでこう言ってます。
「人間は汚れた川である。不潔になることなく汚れた川を受け入れるためには、海でなくてはならない」
つまり、広い心を持つことが彼の言うところの「不潔」を避ける方法だというのです。
しかし、器の小ささには自信があるこの私、そんな広い心は持ち合わせていません。
しかし、そんな私のような小さな人間のために、人類はすばらしい仕組みを考え出しました。
それは何かというと、みなさんも大好きな「スポーツ」。
スポーツは古来、部族同士の対立が殺し合いに発展しないように行われていたそうです。
オリンピックのはじまりも、古代ギリシャでアテネやスパルタなどの都市国家間の戦争を減らすために始まったそうです。
体力があって運動神経の良い皆さんは自らスポーツを楽しむ。
私などはそれを観戦して楽しむ。
スポーツで「やっちゃおう」の気持ちを使い果たしてしまうことが、「戦争反対」につながるように思いますが、いかがでしょうか?
☆さわりのところだけですがyou tube に公開されています