単位の歴史(17)~オーム:国内では評価されなかったドイツの遅咲き物理学者~

    オームの法則_know03
    (画像:北海道でんき保安協会

    オームは抵抗の単位です

    オーム(Ω)は電気抵抗の単位です。電気の分野でいう抵抗というのは電気の流れにくさを表すものですが、英語でエレクトリック レジスタンス(electrical resistance)と言われるように、スムーズな電気の流れを邪魔する「何か」ととらえると、わかりやすいかもしれません。

    上の図では豆電球A・Bが抵抗となっており、V=IR(オームの法則)に当てはめてみると、
    電圧計V1の場所では2A×4Ωで電圧が8V
    電圧計V2の場所では2A×8Ωで電圧が16V
    になることが示されています。

    抵抗(オーム:Ω)の値は大きければ大きいほど電気が流れにくくなるため、上の図のように電圧が一定(24Vの電池)の場合は、抵抗の値を大きくすると電流の値が抵抗に反比例して小さくなります。

    難しい話はさておき、オームの法則のすごいところは、
    V・・・電圧(V:voltage)
    I・・・電流(I:intensity of current)
    R・・・抵抗(R: resistance)
    のどれか二つの値ががわかってしまえば、残りのひとつもシンプルな計算で簡単に値が求められることです。

    学校を卒業してしまうと電気の式や単位などはすっかり忘れてしまいますが、オームは電気に関係する業種の人にとっては日常的な単位と言えます。オームの法則によって電気は計算で予測が成り立つ分野となり、ここから回路設計の技術が飛躍的に進歩しました。

    Ohm's law
    (画像:やさしい電気回路

     

    転職を繰り返した若者時代

    Ohm3
    (画像:Wikipedia

    オームという単位はオームの法則を発見したドイツの物理学者 ゲオルク・オーム(1789―1854)にちなんで命名されたものです。

    オームはドイツのエアランゲン市で錠前職人の息子として生まれ、独学で高度な知識を身に着けた父親から弟と二人で、数学、物理学、化学、哲学の教育を受けました。

    オームは16歳でエアランゲン大学に入学したものの、ダンスやビリヤードに熱中してしまい大学から休学命令が下されてしまいます。

    怒った父親にスイス行きを命じられたり、復学して学位を取得したり、この頃のオームは仕事も居場所もなかなか落ち着きませんが、教師や講師の仕事を何度か転職しながら、独学で勉強だけは続けていたようです。

    28歳でケルン理科大学の上級講師として勤めることになったオームは、大学のよく整備された研究環境で本格的な物理学の研究を開始します。3年後にエルステッドの電磁気現象の発見に興味を持ったオームは、そこから電磁気学の実験をするようになりました。

    やがてオームはカルヴァニ電池を使って電流と電圧の関係を数学的に取り扱う研究に着手し、その過程で電気的な法則を発見します。それがオームの法則です。オームはそれらの成果をまとめて『Die galvanishe Kette, mathematisch berabeitet』(数学的に取り扱かったカルヴァニ電池)という本を1827年に出版しました。

    この時代の日本のできごと
    シーボルト_937edfd2オームが本を出版した時代の日本は文政年間で、シーボルトの来日(1823年/文政6年)、江戸幕府の異国船打払令(1825年/文政8年)、シーボルト事件(1828年/文政11年)など、海外の勢力にどう対応すべきか国が揺れていた時期でした。

    ドイツ国内では評価されなかったオーム

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    (画像:wikipedia

    残念ながらオームの出版した本はドイツ国内ではほとんど評価されず、むしろ酷評を受けました。批判の内容は「論理的な演繹が不明瞭、実験からの推論だけでは真理として認めがたい」というものでした。

    当時のドイツは保守的な学歴社会だったため、誰をも師と仰がず独学でやってきたオームに対しては、事実と異なる偏見や軽視などがあったのかもしれません。

    そんなオームの評価はやがて、ドイツ国内よりも自由な気風のある国外のイギリスやフランスでじわじわと上がり始め、当時の著名な科学者たちの賞賛を背景に、英国王立協会がオームに「コプリー・メダル」を授与しました。そしてオームは満場一致で国外協会員に選ばれました。

    国外での大きな評価が本国のドイツにも伝わり、それまでずっと高校教師だったオームは、これを機にようやく念願だった大学教授(ミュンヘン大学)の座を手にします。けれどその時はすでに60歳を過ぎておりオームはその2年後に亡くなりました。現在の電気回路学に絶大な影響を与えたオームですが、その生涯の大半は不遇だったようです。

    オームという単位は彼の功績を称えて命名されたものですが、後年、キャベンディッシュという学者も同じ法則を発見していたことがわかりました。けれど、どちらも単独の研究によって独自にたどり着いた結論なので、それでオームの業績が色あせることはありません。

    ちなみにオームの名前はOhmなので、単位としてはアルファベットの「O」が使われるべきですが、数字のゼロと混同されるのを避けるためギリシア文字のΩ(オメガ)が使われています。この字はω(オメガ)の大文字ですが、電気の単位として使われるときだけオームと読むようです。


    参考/参照記事 数学的に取り扱われたガルヴァーニ電池 オームの法則のオームさんの凄さ 電気・磁気6:オームの法則(1827年:オーム)など