電波の歴史~②電波を発見しても電波の価値は見いだせなかったヘルツ

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    ヘルツの功績をたたえる切手

    マックスウェルとヘルツの時代背景

    マックスウェル(英)が「マックスウェルの方程式」を発表して、理論的に電波(以下、電磁波と記述)の存在を主張した、1864年前後の日本は幕末の尊王攘夷運動の真っただ中。その年には、蛤御門の変や下関事件や幕府による長州征伐が起こっています。一方アメリカでは南北戦争が終結し、前年にリンカーンが奴隷解放宣言を行っています。

    フランス軍事博物館所蔵の清仏戦争「ランソン攻勢」

    その約20年後、日本では伊藤博文が初代内閣総理大臣となり、世界では清仏戦争が終わった頃、20年前に発表されたマックスウェルの方程式の実証実験に取り組んでいる若い物理学者がドイツにいました。

    のちに電磁波の存在を実験で証明し、電磁波の発見者となったハインリッヒ・ヘルツです。

    若く優秀な研究者だったヘルツ

    ヘルツは大学の研究施設で指導教官のヘルムホルツに才能を認められ、師の奨めで学内の懸賞論文に取り組んで見事に金賞を獲得しましたが、ヘルツにとっては論文の対象だった電気の分野が非常に面白く、以後も強い関心を持って研究に取り組みました。

    ヘルツの研究者としての優れた資質を理解していた教官は、今度はベルリンアカデミーの懸賞に応募するように勧めました。テーマはマックスウェル理論の証明で、賞金のかかったものでした。

    ですがヘルツはそれを辞退しました。先行きが見込めず長くかかりそうな研究よりも、もう少し早く確実に実績を残せる電磁誘導の研究を選んだのです。ヘルツはその研究でも優れた論文を発表し、1880年2月、23歳で物理学の博士号を授与されました。

    一度は辞退したマックスウェル理論の実証でしたが、ヘルツの心にはそれが未解決のテーマとしてずっと残っていたのでしょうか?

    ヘルツはその後、自分の専門である実験物理学ではなく、数学物理学のほうを学生に教えることになりました。実験物理学は競争率が高く講師として活躍する機会を得にくかったため、それは恩師のはからいによるものでした。

    しかしそれが幸運だったのは、数学の分野に取り組むことで、6年前に不透明感を感じていたマックスウェルの方程式が把握できるようになってきたのです。

    その後、ヘルツは実験物理学への復帰を切望し、最良の実験施設のあるカールスルーエ大学に移り様々な実験を繰り返す日々に戻りました。

     

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    ヘルツの実験装置(画像:deutsches museum)

    大発見はいつも偶然から

    電磁波の発見は偶然でした。1886年、ライデン瓶で高電圧を発生させ、わずかに離した金属棒に火花を起こしたところ、そこから離れた違う実験装置の金属の隙間にも小さな火花が見えたのです。これは電気が空間を伝わっていったとしか思えません。

    このできごとがきっかけで、ヘルツは6年前から未解決のままだったマックスウェル理論の実証に見通しがたった気がしました。そして様々な実験器具を自ら開発し、多くの実験を重ねて電気が起こす波を観察し、記録しました。

    たとえば小さな火花を確認するために光を遮る箱を置いたところ波の挙動が変わりました。また、ガラスを通過することも確認できました。そうやって次々と電磁波の反射、屈折、干渉の動きを解き明かしながら、それから3年間のうちにヘルツはマックスウェルの理論を完全に検証できたのです。

    何の役にも立たない

    ヘルツの実験に立ち会った学生は、電磁波が存在することに大いに感動してヘルツにこう尋ねました。「これは今後何の役に立つのですか?」

    するとヘルツはこう答えたそうです。「たぶん何もない。これは単にマックスウェル先生が正しかったことを証明しただけの実験だ」

    複数の資料によると、学者肌だったヘルツは実験以外のことには無欲だったらしく、実用の可能性を探る気持ちはなかったように解説されていますが、実際には完全に「なかった」わけではなく、「現状では困難」というのが後年の認識だったのかもしれません。

    ヘルツは1889年にフーバーという名前の土木技術者を雇っていましたが、彼に「電磁波を使っ​​て音響振動を伝えることが可能かどうか」を尋ねられたヘルツは、「(音声のような)低周波は波長が大きくて扱うことができないためうまくいかない」と答えたとのこと。

    確かに、音声信号が無線伝送されるまでには、さらにここから30年の歳月を要しましたが、その頃になると発明が莫大な利益につながる図式が現れてきます。次回は無線の父といわれ、発明を事業に変えたマルコーニについてお届けします。

    (➡次回:③生家の財力と母の支援と卓越のセンスで電波を実用化