ごめんなさいの裏側に

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    私達日本人はよく「自制的で謙虚な国民性」を持つと言われます。

    有名な政治学者で、コンサルタント会社「ユーラシア・グループ」を率いるイアン・ブレマーさんはコロナが世界的な問題になり始めた2020年3月インタビューで

    「日本ではロックダウンの必要はない、なぜなら日本の国民は政府が、外出を控えてください、マスクをしてくださいと『お願い』するだけでそのとおりに行動するからだ」

    と発言していましたが、予断を許さないものの、日本のコロナの早い沈静化もどうやらそのへんにも理由があるようです。

    事実、私達自身も、洋の東西を問わず主張が激しく、自分勝手に見える外国の方々の行動や発言にへきえきしながら、「謙虚な日本っていいよね〜」と暮らしてきたように思います。

    事実、私達日本人が使う日本語には謙虚な気持ちを表すさまざまな言葉があります。

    「お先にどうぞ」

    「とんでもないです」

    「恐縮です」

    「どうぞおかまいなく」

    といった遠慮を表す言葉や、本来謝罪の言葉である「すみません」「ごめんなさい」が、何も悪い事してない段階から使われることもあります。

    こうやって考えれば考えるほど控えめで美しい日本語ですが、時々その裏側の気持ちを考えさせられるシーンもあります。

    ケース1 例えば先輩が最近成長著しい若い人に新しいことをお願いした時

    「いや〜僕なんてまだ全然ですよ。そんな仕事できるわけがありません。無理です。遠慮します。」

    「そんなことないよ、君ならきっとできるよ。」

    「そんなにおっしゃるならやってみますけど、うまく行かなくても知りませんよ!」

    こんな時、この後輩くんはただただ面倒事を避けている。責任を追うリスクを最小化して、最初からうまくいかない時の言い訳をしている、ように思えます。

    もし忙しくて引き受けるつもりがないなら、「〇〇の仕事を優先的に進めているので受けられません」

    引き受けるなら頼まれた最初の段階で「わかりました。もしうまくいかなさそうになったら早めに相談しますのでフォローお願いします。」

    このほうが断然スマートだと思うのですがいかがですか?

    ほめられたときも「とんでもないです」なんて言わず、「ありがとうございます。そう思っていただけるなんてうれしいです!」と返したほうが相手も喜んでくれるんじゃないでしょうか?

    ケース2 人にものを教える立場の人がやたら「ごめんなさいね」を連発

    ごめんなさいね、ここはそうするより、こうしたほうがいいんですよ。ほんとにごめんなさいね

    と指導をごめんなさいでサンドイッチ

    おそらく、相手の立場を尊重したつもりなんでしょうが、言葉の裏には

    「レベルの高いこの私が、あなた方のようなレベルの低い人にはわからない、レベルの高いことを言っていることを、あらかじめ謝罪します。」

    とも聞こえませんか?

    こちらも言ったことが相手に理解できることを前提に

    「ここはこうしたほうがいいと思うんですが、いかがですか?」

    のほうがスムーズで、相手の意見や質問も出やすいと思いませんか?

    と、ここまで書いてきて分かったのは、謙虚な態度や言葉の持つ2面性です。

    1、相手を引き立てたり、譲ったりしたい時=受容的・対話的

     
    2,責任を負いたくない時、やりたくない時、優越感のある時=拒絶的・一方的

    謙虚な態度や言葉は「受容」と「拒絶」、この二つの相反する気持ちのどちらでも使うことができるところに問題があるようです。

    「遠慮は上品な強情」

    という言葉を聞いたことがありますが、これは謙虚さの2,の側面をとらえたものなんでしょうね。

    どう考えても謙虚とは思えない私自身もぜひ、対話的で受容的な謙虚さを身につけていきたいと思います。

    それこそがイアン・ブレマーさんが指摘した日本人の謙虚さではないかと思います。

    イアン・ブレマーさんの当時の動画はこちら

    彼は最後に「寂しかったら犬を飼え」的なことまで言ってて、なかなかチャーミングです。