新年あけましておめでとうございます。
昨年の11月に「良い人は損?」というタイトルで書かせていただきました。
実はそのことをしつこく、おもちを食べ食べ、正月休みの間も考えていたんです。
今回は、動物学上の仮説と貨幣論的な仮説を組み合わせて、しつこくもう一回書かせていただきますので、少しの間お付き合いください。
「絶滅の人類史」を書かれた更科功さんによると、人間は他の哺乳動物とは違って、互いに協力しあい、譲り合うことでここまで発展してたそうです。
ここから先は動物学の話なので、少し配慮のない話になりますことお許しください。
人間の親類の類人猿(ゴリラ、チンパンジー、オランウータン)などは野生の状態では基本的に自分の血のつながった子供の面倒しか見ません(しかも母親だけ)。
これはオランウータンに顕著で、オスは実の子でも他の子でも、子連れのメスに出会ってしまったら次の交尾のために遠慮なく子供を殺してしまう事があるのです(ここは更科さんの本ではなくNHKの自然ドキュメンタリーで知ったことです)。
彼らは一人前になるまで6年位かかりますし、一回に生まれるのは大抵1頭。
つまり最速でも6年に一回しか子供を産まず、40歳ちょっとで寿命が来ますから、ひとりの母親から生まれる数には限りがあります。
人間も40ちょっとで子供を産まなくなりますが、その後も長生きして、孫の面倒を見ます。
おばあさんだけなく、善意や職業などで赤の他人の子供を面倒みる人もたくさんいます。
なので人間の母親は、本人の意志と体力と運次第では、1年半後には出産が可能で、国によっては10人上の子供を持つケースもあります(戦前の日本もそうでした)。
今、世界の総人口は78億人ですが、類人猿は上記の三種あわせても200万頭以下と言われていて、それぞれ絶滅の危機にあります。
人類は他の個体に子育てを手伝ってもらうことで他の類人猿より子供をたくさん作れるわけですね(おばあさん仮説と言われています)。
そして、実の親以外のサポート得られる人間の子供が大人になるまで生きていられる確率も格段に違うでしょう。
そして実はこの延長線上、つまり「人間が血のつながらない個体ともかなり深い協力関係を持てる」ことが人類が社会を作り繁栄している一因になっている、とも言われているんです。
そんな中、社会でアウトロー的に振る舞うことによって得をする事例が時々起こるので、「良い人は損」とか「正直者はバカを見る」なんてことが言われるんだと思います。
確かに1個体としては、協力を一切せず、利得だけを享受することが、文字通りお得に見えるかもしれません。
しかし、そういう遺伝子の持ち主は共同体内での繁殖の機会に恵まれず、仮に残せても、その子孫が周りからの協力を得ることは困難と推測できます(親先祖のせいで周りから協力されないなんてかわいそうですね)。
そんなわけで結果的に協力的で善良な人の遺伝子が多く残っているために、私達人類は協力しあって78億人にまで増えてしまった、と考えるのが妥当だと思うんです。
そしてお互いの協力のあかしとして、人は財を交換するようになり、貸し借りが生まれます。
さらにその貸し借り(互恵、つまりは協力)のあかし、象徴として、貨幣が生まれたという説があるんです(文字の誕生よりさらに歴史を持つと言われています)。
「協力的で善良であることが最良の生存戦略であり、その潤滑剤として貨幣が存在する」
「お金がある人が偉いわけではないが、立派な人にはお金が集まってくる(可能性が高い)」
そんなふうにプリミティブ(根源的)に考えると、私達のお金にたいする感じ方、使い方も少し変わってくるんじゃないかと、私は考えていますがいかがでしょう?
おまけ
全くの私見ですが、コンビニや飲食店でのお金の出し方を見ていると、その人がお金に恵まれそうか、そうでないかがわかる気がしています。