珍説?「アリとキリギリス」

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    「ウサギとカメ」「北風と太陽」「卑怯なコウモリ」でも有名な「イソップ寓話」

    イソップはいまから2600年前に古代ギリシャに実在した歴史上の人物で、寓話が日本に伝わったのは1593年、江戸時代初期から『伊曾保物語』という名前で広まったと言われています。

    その中でも、みなさんがよくご存知の「アリとキリギリス」のお話

    「夏の間、アリたちは冬の食料を蓄えるために働き続け、キリギリスはヴァイオリンを弾き、歌を歌って過ごす。

    やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、最後にアリたちに乞い、食べ物を分けてもらおうとするが、アリは「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだい?」と食べ物を分けることを拒否し、キリギリスは飢え死んでしまう。」

    というあらすじでしたね。

    (最近は食べ物をもらって反省バージョンもあるそうです)

    子供の頃に、「だから遊んでばっかりいないで宿題しなさい!」

    なんてお説教を受けすぎたせいか、

    「人生(虫生)を謳歌し楽しく生きるキリギリスのどこが悪い!」

     
    「逆に食べ物を恵んであげないアリって嫌なヤツ! きっとすぐ自己責任とか言い出すんじゃないの? 

    人としてどうなの?(アリですけど)」

    と感じる人も多いんじゃないかと思います。

    もちろん私もその1人です。

    とはいえ、自分が仕事している時に遊んでいる人を見たらちょっとはヤな気持ちになるのも事実。

    友人が平日にゴルフに行く予定を知ると

    「雨でも降らないかな」

    なんて少し思ってしまいます。ほんとに心が狭いですね。

    人間はアリと同じく「集団で生きることで栄える」ことを選択した生き物なので、集団のプラスにならないと思うと、仲間はずれにしたい気持ちが我々にはどうしても芽生えてしまうようです。

    でも、もしもですよ、キリギリスがただ「ヴァイオリンを弾き、歌を歌って過ごす」のではなく、

    働いているアリに向かって、アリのために「ヴァイオリンを弾き、歌を歌ってあげる」のだったらどうでしょう?

    冬に訪ねていった時に「あの時の歌は良かったよ。どうぞお入んなさい。またヴァイオリンを聞かせてよ。」

    となったんではないでしょうか。

    アリだってきっと、キリギリスが非力で労働に向かないことくらいわかっているはず。

    おそらくアリがキリギリスを冷たく追い出したのは、キリギリスが遊んでいたからではなく

    「他者のためではなく自分のためだけに過ごしていたから」なのではないでしょうか?

    キリギリスが「アリ君は馬鹿だなーこんなに暑い中あんな並んで汗水たらして」ではなく

    「アリ君頑張ってるなー。僕は荷物持つのは苦手だし嫌いだけど、音楽でアリ君たちを楽しませよう

    という気持ちでヴァイオリンを弾いて歌っていれば、こうはならなかった。

    というのが私の「アリとキリギリス」の新解釈です。

    相手に何かを渡したらお返しがあると期待し、逆に相手から何かを受け取ったらお返しをしなければならない」と感じる共通認識のことを「レシプロシティ(互恵性、返報性)」と呼びます。

    「レシプロシティ」は文化や民族を問わず、全人類共通の感覚だそうです。

    だとしたら、イソップもそう思ってこの話を書いたのかも知れません。

    虫の世界にお金があれば

    夏の間に涼しくなった夕方にコンサートを開いて、アリたちにチケットを買ってもらって

    アリは労働の後のひとときを楽しく過ごし、同時にキリギリスもラクラクと冬を過ごせたでしょうね。

    これならWINWINの関係が構築できたのに、と思います。