きれい事とタテマエ

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    半年ほど前、とある高校で生徒さんに講演といいますか、社会人になるにあたっての心得的なお話をしていた時のことです。
     
    最後に質疑応答の時間があり、いくつかの質問をもらいました。
    若いみなさんは思っていたよりもずいぶんと真面目で、私のお話に沿って真摯な質問をいくつかしてくれました。
     
    まだ見ぬ未来に希望と不安でいっぱいの皆さんに、
    「いい加減なことは言えない」
    と私も心を込め答えさせていただきました。
     
    そして質問も一通り終わったかと思ったその時、小柄な男子生徒が意を決したように手をあげました。
    「はい、ではあなたで最後にしましょう。ご質問は?」と聞くと彼はこう尋ねてきたのです。
     
    「きれい事とタテマエは違いますか?」
    「えっと…」
     
    私の講演とは全くつながりのない、まるで禅問答のような質問に、私は少しうろたえてしまいました。
    しかし、彼のまっすぐな眼差しはこの質問が決してふざけてではないことを語っています。
     
    ここは逃げることはできません。私は一拍おいてからこう答えました。
     
    「たぶん違うと思います。」
     
    「人間が2人以上集まることで形成される社会では、どうしてもホンネだけでは物事が進みません。お互いのホンネが一致することは滅多にないからです。人類は『社会で生きること』を選択した生物です。
     
    だから無人島ではなく『社会』で生きていこうと思ったら、みんなが納得しやすいタテマエが必要となります。」
     
    「きれい事は、物事を前に進めるためではなく、むしろやらずに済ますためのものじゃないかと思います。みんなが感心するかっこいいことだけを言って、実際には何もやらないわけです。」
     
    「タテマエときれいごとは似ていますが、タテマエはきれいじゃない時もあります。
    君のお母さんが『あんたなんか産まなければよかった!』ときれいじゃない事を言ったとしても、それは口げんかやなんかで君に謝って欲しい時のタテマエですよね。ホンネでは君のことを愛しているわけです。」
     
    「私は、
    ・タテマエはきれいじゃないけど必要なもの。
    ・きれい事はその名の通りきれいだけど、なくても良いもの。
    だと思います。」
     
    そう話すと彼は小さくうなずいてくれ、私もほっと胸をなでおろしました。
     
    彼がなぜ私にそんな質問をぶつけたのかは今もって謎のままです。
    ですが、私にそんなことを考えるチャンスをくれたその生徒さんには本当に感謝しています。
     
    さて、皆さんはなんて答えますか??