皆さま、お盆はどうお過ごしでしたか?
お盆は正式には盂蘭盆会(ウラボンエ)と書き、もともとは古代インド語のウランバナ(逆さ吊り)が語源だそうです。
お釈迦様の10大弟子の一人と言われた目蓮(もくれん)がある日、神通力で亡き母の天界での様子を見たところ、天界どころか地獄で逆さ吊りの責め苦を味わっています。
慌てて供物を捧げ、お祈りしてみましたが全く効き目がありません。
自分の力では母を救えないと悟った目蓮はお釈迦様に相談し、法にのっとった方法で供物を捧げると、亡き母は歓喜の舞を踊りながら昇天しましたとさ。
という亡くなった先祖があの世で苦しまないように祈る事から始まった行事なんだそうです。
ですから、「お盆もなんだかんだでお墓まいりしてないなぁ」というかたはぜひ、お彼岸にでも行ってお線香をあげてきてください。
しかしこのお話、ちょっと不思議ですね。
10大弟子の一人目蓮のお母さんなら、きっと立派な人だったはず。
事実、目蓮も「優しいお母さんは天界行き間違いなし」と思っていたから天界を最初に探したわけですし、、、
実は目蓮のお母さん、生前お釈迦様の弟子たちに捧げものをするときに、自分の息子の目蓮にばかり沢山あげちゃったという、なんと「エコヒイキの罪」で地獄に落ちていたのでした。
大した悪意もなく「ちょっとくらい」と何気なくやったことで、人に迷惑をかけたり失敗することって、ごくフツーの人間である私達も結構ありますよね。
それに気づかされた時、私達が取れる方法は3つあります
・気づかないふりをしてしらばっくれる
・自分の身を守るために言い訳する、逆ギレして相手が悪いことにする
・間違っていたことを潔く認め、即行動を改める
どれが良い方法かなんて、10歳の子供でも分かるんですが、いざ自分のこととなると、なぜか間違った方法をチョイスしてしまいがちです。
ネットニュースやテレビのなかでも立派な(はずの)政治家や大きな会社の社長さんなんかにもちょくちょく見られる姿です。
おそらく「目の前の自分が引き起こした失敗を直視したくない」、そんな良く言えば「美意識」が邪魔をしちゃうんじゃないかと、私はにらんでいます。
でも目先の美意識を重視すると結局、のちのちだいぶみっともないことになったという事例は、皆さまも沢山ご覧になっていると思います。
ここはぜひ、「未来に向けた美意識」に進化させる努力をしていきたいこころですが、目の前の「みっともない」もどうしても避けたい。
人はこういった、ダブルバインド(あちら立てればこちら立たず)の状況におちいりやすいものです。
そこで私が提案したいのは、どちらか一方を選ぶのではなく、全て丸呑みにする
「人生に失敗はない」「全ては成功への道のり」
という考え方です。
「今自分は失敗を犯した、これはきっと自分に何か大事なことを教えてくれているはず。
これをすなおに認め、改めれば、成功に一歩近づけるぞ、さあここからスタートだ」
と考えてみてはどうでしょう?
お盆ということで、抹香臭いお話になってしまいましたが、いつでも「今がスタート地点」そんな気持ちで令和最初の年の後半戦を迎えたいものです。
☆目蓮のお母さんは「自力」ではなく、お釈迦様と目蓮による「他力」で地獄(餓鬼道)から昇天しました。
人の力を借りて立ち直る、あるいは人を失敗から救う行動を取ることの大切さも、このお話は教えてくれているように思うのですが皆さまのご意見はどうでしょうか?