「善じゃなくても別にいいんじゃない 偽善のススメ」

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    最近「自粛警察」という新組織(?)が勝手に結成されたらしいですね。

    他県ナンバーにいたずら書きしたり

    営業している飲食店や宿泊施設に執拗に抗議電話かけたり(これは知人のお店がやられたそうです)

    これと似た活動に「偽善警察」というのもあるようで

    「偽善警察」というのは誰かがいい事すると、「売名目的確定!」とか「実は○○は昔・・」とか過去の話をネットに書いたりして正義感を満足させる活動の事だそうです。

    コロナ以降、芸能人や著名人が義援金やマスク、防護服といった物資の寄付を行うことに対して、最近活動が盛り上がっているのを、ネットニュースで見かけます。

    これを読んでいる人の中にも、ご自身が何かいい事をしようと思った時に、他人の目を気にしてやめた、という経験ありませんか。

    他人の目がなくても、自分自身の心に「あれ?でもこれって偽善じゃないの?」ってつい問いかけてしまう事もけっこうあるんじゃないでしょうか?

    少し話は変わりますが、中学、高校の国語や日本史に出ててくる「徒然草」って覚えていますか。

    むかしむかし、国家公務員を引退した吉田兼好という人が隠居暮らししながら書いた「エッセイ」みたいなものですよね。

    言ってみれば隠居老人のなかなか毒のある「ぼやきトーク集」とでもいいますか、、

    その中の一段を私が「超訳」させていただきますと・・

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    庶民というものは心が真っ直ぐじゃないので、どうしてもウソ・偽善が混ざってしまうもんじゃのう。

    しかし、中には本当に心が真っ直ぐな庶民がいることにはいるな。

    じゃが、馬鹿者どもはそういった真っ直ぐな心で良いことをする者が珍しいもんじゃから、自分の基準に引き下ろして

    「あいつはそんなことをして、有名になろうとしてるんじゃね?何か裏があるんじゃね?」

    などと仲間内やネットで陰口を叩くもんじゃ。

    自分の価値観でしかものを考えられないもんじゃから、それを口にするとそのくだらん価値観が結果的に世の中にバレてしまう。

    馬鹿は死ななきゃなおらんとは、まさにそのことじゃよ。

    馬鹿者は小さなウソで、小さな得をしようと、まあがんばるがんばる。

    そのくせ、ウソでもいいから真っ直ぐな人から学ぼう、とは思わん。

    走るのが早いアスリートのフォームを研究する者はちょっとは早くなる

    真っ直ぐな心の人の行動をまねると、ちょっとは真っ直ぐになるというものじゃ。

    狂った人の真似だと言って道の真ん中で踊り狂えばこれは狂っているし

    悪い人の真似だと言って人を殺してしまえばこれは悪人じゃな。

    一流アスリートに学ぶ者はたとえ下手でもアスリートの端くれじゃ。

    まあそんなことじゃから、

    「多少ウソが混じっても、良い行動を取ろうする者」

    を偽善者呼ばわりするというのは、ちとどうかと思うんじゃがのう・・

    まあ年寄りのたわ言じゃよ

    あんたら若者を馬鹿にしとるわけではないよ ケケケケケ

    (徒然草 85段 を大幅に意訳)

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    まあ、小憎らしい文化人というかなんというか、こんなジジイが近所にいなくて良かった、と心から思ってしまいます。

    本人も、そう思われていたことはどうやら知っていたようで、なんと30歳前後でお坊さんになってしまい、40年近くも隠居暮らしをしていたようですけどね。

    年は取っていますがまだ現役で、心の真っ直ぐでない私はこう思っています。

    聖人君子は知りませんが、普通の人が1mmもウソのない真の善を行うことはそもそも不可能。

    だから人をおとしめたり、損をさせる目的の偽善は別として、いい事をしようとして、ついでに名前を売ろうとしたり、結果的に得をしたりする「うっかり偽善」は大いにけっこう。

    なので、アスリート気分で下手なスポーツを楽しむように、少額の寄付をちびちび続けたり、誰かが脱いだ靴を揃えたり、時々道のゴミを拾ったりしながら、これからもずーっと偽善者でいようと思っています。

    どうです?どなたか私と一緒に偽善活動はじめませんか?