ガマンより効果アリ

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皆さんあけましておめでとうございます。


私が住む仙台は年末年始ともに、比較的過ごしやすい天候でした。


義理の父が秋に亡くなったため、初詣には行きませんでしたが、自宅の近くに少し大きな神社があり、通りかかると初詣客でそこそこ賑わっていましたね。


皆さん、一年が無事に済んだ感謝と、次の一年の飛躍や無病息災を願って参列しているのかな?


世界中が紛争などで混乱する中、平和な国で過ごす幸せを感じずにいられません。


コロナは相変わらず蔓延していますが、人が集まるところには集まるようになってきた感じですね。


やはりヒトは集団で暮らすことを選択した生き物なんだな、一人では生きられないんだな、とつくづく思える風景でした。


昨年は皆さんにとってどんな年でしたか?


私は事業をしているので、自ずとコロナの影響を受けないわけには行かない1年でしたね。


もっとも悪いことばかりでもありませんでしたよ。


コロナの影響で不調が続いていた学習&プログラミング教室はカリキュラムが充実して生徒さんが増え始め、基幹事業の電気設備業もインフラ関係中心に堅調、CO2削減事業も少しづつ知名度が上がり、経営コンサルティング事業も少しづつお客様が増えてきました。


個人的にも、ちょっとした油断からケガをしたり体調を崩したりもしましたが、相変わらず良いことがあったり悪いことがあったりの一年でした。


皆さんはどんな一年でしたでしょうか?


私のように、良いことと悪いことが同じくらいだった人

 
良いことのほうが多かったなぁという人


悪いことばかりだったという人


まさしく三者三様だったことでしょう。


特に悪いことばっかりだったあなた!


時には家族や親しい人に当たり散らすこともあったかも知れませんが、基本的にはすべてのストレスを発散するわけにも行かず、なかなかつらい年だったと思います。


ほんと「どうして自分ばっかり」「なんてツイてないんだ」「なんて年だ!」ってときはありますよね。


「人生楽ありゃ苦もあるさ」


昔ヒットした時代劇ドラマ「水戸黄門」の主題歌にこんな歌詞がありました。


日本古来の教訓はこの歌のように「ガマンしなさい、そうすれば必ず良いことがあるよ」というものです。


「あいつあんなことしやがって(怒)・・・でもここはいったんガマンしよう。


いずれあいつも自らの非を認めて、あやまってくれるだろう」


「なんでこんな大事な日にこの天気(泣)・・・でもここはいったんガマンしよう。


つぎの大事な日はきっと天気がいいだろう」


こんな風にガマンという考え方には、必ずなにか見返り的なものへの期待がセットになっています。


しかしいくらガマンしても報われないこともあるでしょう。


ガマンしていても、相手はいっこうに非を認めない。


ガマンしていても、次の大事な日にまたまた雨が降る。


「ガマンしたところでいつになったら楽になるんだろう??」


「もうガマンできん!!」


そうやって私たちはときおり「大爆発」してしまうんじゃないかと思います。


もしかして私たちは「ガマンすればきっと良いことがある」って思いすぎてしまっているんじゃないでしょうか?


こんな感情の大爆発をさけるために、私たちはガマンだけでなく「受け容(い)れる」ということも考えねばならないと思います。


さきほどのように相手はいっこうに非を認めず、次の大事な日も雨が降る。


そんなとき


「ホントわかってくれないよね〜 でもまあ、相手さんにもそう考えるなにかの理由があるんでしょう」


「あ〜 雨降っちゃったよ〜 ついてないな〜 まあでも、大自然に感情があるわけではないんだから、私の意をくんで都合よくお天気にしてくれるわけはないよね。むしろこっちがお天気の良さそうな時を選ぶべき。」


自分の怒りの対象をガマンして耐えるのではなく、相手のことも考えてあげて受け容れてみる。


いろんな思い通りにならない事を受け容れて、いると自分というコップがどんどん満ちてくる。


しかし受け容れたもののうち、自分の心からあふれた分は、自然とコップのフチからこぼれてどこかにいってしまう。


結果、大爆発は起こらず惨事はまぬがれる。


まるで火山のマグマの熱が地下水で冷まされて、噴火までいかない状態です。


こっちのほうがマグマの熱で温まった地下水でできた温泉のように、とても気持ちが良くて

あなたの受け容れる態度でいやされた人に感謝までされて、ガマンするより、だんぜんお得だと思いますよ。


受け容れる心、つまり「受容(じゅよう)」する心。

 
コロナや紛争で、平和は遠ざかりそうな時代に必要とされていると思います。