電池産業の軌跡(2) ~タコと呼ばれた水銀整流器~

    denshi-kiseki 電池産業の軌跡

    みかドン ミカどんミカド電装商事が現在の社名で電源のバックアップ事業に取り組み始めてから60年になります。そこで前回から何回かにわたり、当社と深い関わりのある産業用蓄電池や周辺装置の歴史をピックアップしています。第2回目は「水銀整流器」です。

    産業分野では交流⇔直流の変換が重要です

     

    家庭ではコードをコンセントに差し込めばすぐに電化製品が使えます。そのため私たちは電気に交流と直流の2種類があることや、交流⇔直流の変換については普段意識することがあまりありません。

    ですが産業の分野では交流を直流に変換する装置はとても大事です。なぜなら、交通や通信のようにインフラに関わる重要な設備は、停電になっても蓄電池からそのまま電気が供給されるように、直流で動く機器が多いからです。
    蓄電池の電気は直流です。これに電力会社から送電される交流の電気を溜めるためには、蓄電池の手前に変換装置を置き、交流を直流に変えたうえで蓄電池を充電する必要があります。

    一方、鉄道では歴史的な経緯から、初期の電車は直流で動くものでした。発電機で発電される電気は交流であるため、ここでもやはり変換装置が必要となります。

    交流を直流に変換することを整流と言います。現在では半導体素子をつかったハイテクな装置が普及していますが、半導体が登場する以前は、水銀整流器よ呼ばれる大きなガラス管が使われていました。

    タコと呼ばれていた水銀整流器

    東急元住吉変電所で使われていた日本電池製の水銀整流器(昭和2年~昭和30年)(画像:川崎市

    水銀整流器とは内部を真空にしたガラス容器または鉄製容器内に発生させた、水銀のアーク放電を利用して交流を直流に変換する(整流)装置です。

    真空容器の底の水銀溜りを一方の電極とし,鉄または炭素の電極との間でアーク放電を行い、水銀溜りが負の電位のときだけ電流が流れて整流が行われます。

    水銀整流器は1900(明治33)年、米国のクーパー・ヒューイットが水銀アークの整流性を利用してガラス製水銀整流器を発明したのが最初です。

    上毛電気鉄道の赤城変電所で使われていた日本電池製の水銀整流器(1961年製造)(画像:ほとんど0円大学

    GSユアサ(当時は日本電池)では1933年に水銀整流器の製造を開始し、多くの鉄道会社の直流変電所に採用されました。水銀整流器はその外観から「タコ」と呼ばれアーク放電で怪しく青白く光る「タコ」は直流変電所の特長的な光景だったそうです。
    確かに写真を見るとタコにそっくりですよね。

    水銀整流器は電力用半導体素子が開発される1960(昭和35)年頃までは、電力変換装置の主役でした。設置場所も鉄道設備に限らず、大学の研究施設やカーボンアークランプ(直流点灯)の映写機を使っていた当時の映画館など、大電流の直流を使う設備には必須の装置でした。

    ちなみに東北にはこの水銀整流器を今も使っている映画館があります。それは福島県本宮市にある本宮映画劇場です。

    現在は毎日映画を上映する常設館ではなくなりましたが、本宮映画劇場には昭和半ばの映画館の設備がそのまま残されており、なんと水銀整流器も現役です。それらのレトロな設備がコアなファンには人気が高く、多くの方が見学記をブログに綴っています。今回は水銀整流器の写真が掲載されている以下のブログをご紹介して終わります。