目玉と脳の大冒険: 博物学者たちの時代
荒俣宏 著 筑摩書房
博物学を知っていますか?
皆さんは「博物館」にはよく行きますか?
私は大好きで、いつも時間があれば行ってみたいと思う場所の一つです。
博物館にもそれぞれテーマがあって「歴史博物館」に「交通博物館」、「オルゴール博物館」なんてテーマを絞りきった博物館もあります。
私が一番好きなのは自然科学に関する様々なものが陳列されている「自然史博物館」。
日本では、上野公園の右の方にある国立科学博物館が有名ですね。
18世紀から19世紀まで、こういった自然科学全般を扱う「博物学」という学問の分野が隆盛を誇りました。
博物学は、現代では動物学や植物学、地質学などに分化し、発展的解消を遂げてしまっていて、「博物学」という分野も学位を持った「博物学者」も存在しません。
今回ははこの「博物学」についての本「目玉と脳の大冒険: 博物学者たちの時代 」を紹介します。
著者は「怪人アラマタ」こと、荒俣宏さん。
荒俣さんは、NHKの「COOL JAPAN」という番組に、和服で出てくるので見たことがある方もいると思います。
非常に著作の多い方で、映画にもなり大ヒットした「帝都物語」の作者でもあります。
「希少本を集めるために作った借金1億4千万円を、帝都物語の収入で完済した。」というエピソードを持つ、読書好きにとってはヒーローのようなお方です。
博物学者の目玉と脳と その時代の冒険物語
ヨーロッパの大航海時代以降、の発見が相次ぎ、それを分類する手段としての博物学が発達したわけですが・・・
この「目玉と脳の大冒険」は「博物学」という壮大な学問の世界を、まるで冒険物語のように楽しく読ませてくれる一冊です。
タイトルにある「目玉」と「脳」は博物学者にとっての命ともいえるパーツです。
「目玉」と顕微鏡を使って、自然を丹念に観察した18世紀の博物学者シャルル・ボネは、アブラムシの「単為生殖」を確認するなどの活躍をしますが、目を酷使しすぎてやがて失明してしまいます。
しかし彼はその後も「脳」を使いつづけ、研究対象を昆虫から人に変えることで、「見えない博物学=哲学」の研究にいそしみ、後のフランスの教育学に大きな影響を与えます。
博物学者が使ったのは「目玉と脳」だけではありません。
博物学者たちは、探検家としても活躍しました。未知の土地を探検し、動物や植物を発見することは、彼らの探究心を満足させました。
世界各地で新種をもとめ、アフリカや南米の奥地や高山など、危険な場所での採集は日常茶飯事。中には、採集中に命を落とした博物学者もいます。
またそうした生物を種類ごとに分類する学問である分類学は、博物学から発展しました。
博物学の人間くささ
また反対に、どこにも出かけることなく、珍しい標本を買い集め、それを展示することや、自室で収集した標本に囲まれながら想像の翼を広げて本を書くことに熱中する、「キャビネット・ナチュラリスト」「ロッキングチェア・ナチュラリスト」と呼ばれる、現在の「コタツ記者(ネットで検索した内容だけで記事を書く記者)」の元祖みたいなお金持ちもいました。
そんなお金持ちに珍しい標本を高値で売りつけるために命がけの探検をする「バードハンター」や「プラント(植物)ハンター」もいて、まさに「魚心あれば水心」というか「需要あれば供給あり」だったことも書かれています。
この本を読むと、博物学は純然たる学問的興味だけでなく、未開の地を探索して新たな資源を発見し獲得する、という帝国主義的な野望や、珍奇なものを収集し悦に入る俗物的な貴族趣味とも三つどもえで発達していったことがよくわかります。
また分類が、いくら自然に寄り添って「自然的分類」を試みても、結局は人間の概念である「数」や「序列」「形」など、つまり「人為」から逃れられないことも、この本で知ることができます。
ほかにも美しい博物画の話や、植物園の誕生の話、グロテスクな干物や瓶詰標本の展示から始まった博物館、博物学と日本を結ぶシーボルトの話などなど・・・
「目玉と脳の大冒険」は さまざまなエピソードを通じ、自然を観察する学問「博物学」の楽しさを教えてくれます。
まだまだ続く博物学の時代
すべての自然物を対象にした博物学はやがて、より深く人類の役に立っていくために、生物学、植物学、考古学、地学などのさまざまな学問に細分化され、20世紀の始まり頃消滅してしまい、いまは博物学と言うジャンルは正式には存在しません。
けれど、あらゆる科学の分野の発展が続く限り、人類の目玉と脳の大冒険はまだまだ続きます
☆この本は、残念ながらすでに絶版となっていますが、文庫本の中古で300円程度で手に入ります。ぜひトライしてみてください。