当社は終戦直後の昭和23年にカーバイドを扱う会社として設立されました(設立時の社名は「三興社」)。物資不足の当時はカーバイドが照明用燃料として需要があったからです。カーバイドはやがて燃料としての役目を終え、その後当社は社名も事業内容も変わりましたが、今回はこのシリーズの番外編としてカーバイドについて解説いたします。
カーバイドってなに?
カーバイドは炭化カルシウムの別名で化学式はCaC2。生石灰をとコークスの混合物を電気炉で約2000℃に加熱することによって作られます。
水と反応させると可燃性のアセチレンガスが発生するため、シンプルな構造で手軽に灯火が得られるアセチレンランプの原料として普及しました。
カーバイドをつかったアセチレンランプは初期の自動車のライトや自転車のライト、そしてなんと灯台にも使われたようです。それは火力が強く明るい光が簡単に得られるためですが、炎がむき出しなので実際の使い心地がどうだったのか興味あるところです。
めったに見られないアセチレンランプ点火の儀 pic.twitter.com/ppV8Sgr1dx
— カノン (@quaxocat611) February 25, 2018
仙台は国産カーバイドが初めて製造された地
あまり知られていませんが、仙台はカーバイドの国内製造発祥の地です。
1888年(明治21年)に宮城紡績会社によって設立された日本で最初の水力発電所「三居沢発電所」の電力を利用して、同社の技師長であった藤山常一が1901年(明治34年)に日本で初めてカーバイドの製造に成功しました。
この当時のカーバイドは主に自転車灯火用でしたが、やがて時代とともにカーバイドは照明用から工業生産用に用途が変わっていきました。
藤山常一はその後、カーバイドの誘導品として肥料である石灰窒素を製造・販売することを目的に新会社を設立しています。それについては以下の記事も併せてご覧ください。
終戦後、カーバイドは一気に生産量が増えました。戦争で発電所がダメージを受けたり石炭が手に入らないことによる電力不足(当時の火力発電所は石炭が主流)が起こり、照明用の代替燃料として再び需要が増したこと。
そして食糧不足を解消するため、カーバイドが肥料(石灰窒素肥料)の原料として国を挙げての大増産体制に入ったことが大きな理由でした。
郷愁を誘うアセチレンランプの意外な利点
カーバイドを使う一番身近な製品の代表がアセチレンランプですが、発電機やバッテリーが普及していなかった昭和の半ばぐらいまでは、夜店のランプとしてもよくつかわれていました。
純粋なカーバイドはエタノールに似た芳香がするそうですが、燃料用として市販されているカーバイドは不純物が混ざっているため水を垂らしてガスを燃やすと少し悪臭がします。ですがその匂いがまた子供のころの郷愁を誘うという人もいます。
アセチレンランプは夜釣りでもよく使われていましたが、現在は電気灯やLED灯に代替されて実用的な照明装置としての役割はほぼ終わり、入手も困難になりつつあります。
現在はかつての製造メーカーが、ネット等を介して在庫を細々と販売している程度ですが、洞窟調査では今も使われているそうです。明るく光の量が多いだけでなく、懐中電灯ほど収束した光線を発生させないため広範囲を照らすことができ、しかも熱で暖を取れることも利点とか。
今はほとんど使われていないものでも、意外なメリットがあるものですね。アセチレンランプは炎の揺らぎに癒しを感じる人も多く、ネットで検索すると「使ってみた」動画が多数掲載されています。しくみや使い方を知りたい方はそちらを見てみてくださいね。
このシリーズでは過去の電池や整流器などをご紹介して電池産業の歴史をご紹介してきましたが、最後にこの記事を番外編としてご紹介させていただきました。お読みいただきありがとうございます。
(ミカドONLINE編集部)
出典/参考記事: