「ミカド電装マイヒストリー」のシリーズです。今回は2017年に工務部にカムバックされた沢田満(さわだ みつる)取締役工務部長のお話を掲載いたします。
3か月の現場経験を経て営業担当に
編集部 入社前は札幌や東京で異業 種の仕事をされてきたそうですが?
沢田(満)部長 はい。札幌の大学を卒業してすぐ製紙会社の系列会社に入 社しました。緩衝材や中芯材をつくっている会社でしたが、紙だけでなく金属や塩ビなど様々な素材をつかってトラックのあおりとか、車や飛行機の内装の芯材なども手がけていました。札幌で3年、東京で1年働きました。
ミカド電装商事への入社は平成 8年(1996年)です。最初にGS ユアサ(当時は日本電池)の東京支社や東北支社に出向したので、当社で実際に働き始めたのは入社日 の2年後になります。 ちょうど製紙業界の先行きが不透明になってきたため、信頼がおける身内の会社に入り兄(沢田元一 郎現会長。当時は社長)の元で働きたいと思ったのが入社の理由です。 そのときはまだ父も健在でした。
編集部 ミカド電装商事で一番最初の仕事は?
沢田(満)部長 所属は営業部ですが現場を知らないといけないということで、まず見習いとして工務部に入り、 現場を学んでから営業職に就きました。自分は1年ぐらいはきちんと勉強したかったので、もっと長く工務部に居たかったのですが「早く営業の仕事を覚えて欲しい」と言われて3カ月で移りました。なので心残りも少しあったかな。
今でこそ年間を通して仕事がありますが、その当時は年度の後半に工事が集中していたので、前半はけっこう空き時 間があったんで すよ。だからそんなときにほかの皆さんとわいわいやっている20代の僕が、遊んでい るように見えたのかもしれませんね(笑)
自分はその後、 営業から離れて当社の別部門に移りました。
編集部 別部門と言うのは?
沢田(満)部長 新しいビジネスの可能性を探りながら、本当に色々なことをやってきました。 直流電源装置や産業用蓄電池は 技術が安定していますが、納入先の業種は限られます。そういった中で、会社としては新しいお客様の開拓や新しい収益の柱を創出する重 要性が増してきました。
本業から離れて新規事業に飛び込んでいく冒険は、身内である自分にしかできないことなので、 九州まで研修に行って、鳩が来な いようにする忌避剤の販売・施工をしたり、飲食店のコンサル事業もやりました。
常に先陣を切ってきたことが大きな財産です
編集部 飲食店のコンサルもされたのですか?
沢田(満)部長 はい、元々は写真を拡大してつくる大判ポスターや大判POPなどを印刷物として販売するフランチャイズ事業で、当社とは別に設立した会社です。飲食店のお客様がほとんどだったことから、やがて本部の方針でコンサルティングまで行うようになったんです。
オフィスはミカド電装商事の1階にあって7~8名のスタッフがいました。 2002年頃だったと思いますが、 当時は勾当台公園近くにも出店していました。夜の国分町を遅くまで営業した り、本部のスーパーバイザーに何度も個人指導を受けたり、それなりのハードな仕事で得た教訓はたくさんありますが、強いて挙げるなら「お店を外見で判断してはいけ ない」ということと「調子のいい人ほど信じてはいけない」ということ でしょうか。
一見お金がなさそうだと思えるお店でも実際は違う場合がありますしその逆もあります。また小規模のお店が多いため売り上げの未回収も経験しました。考えてみれば、ご提案に対して厳しい表情をされるお客様は、支払いのことまできちんと考えているから真剣なんですよね。そういったお客様が契約してくださったときは、お支払いもその後の対応もスムーズであることが多く、逆に「いいね、いいね」と 反応がよく、ご飯までご馳走してくださるような方ほど集金できなかったり、本当に色々勉強させられ ました。
残念ながらこの事業は終了しましたが、一時期は会長の戦略が成功して実績を上げ、代理店の全国大会で表彰されたこともあります。 苦労もありましたが、現業とは全く異なる視点で世の中を見ることができたので、とてもいい経験にな りました。
編集部 その後当社に戻られたのですね?
沢田(満)部長 そうです。それまでは個人事業に近い様々なお客様が相手でしたので、ミカド電装商事に戻ってきたときには、お客様も当社の社員も、「なんて紳士的でいい人たちなんだろう」と真っ先に思いました(笑)
戻ってからは企画室に入り、数字の分析や広報的な業務を手掛けたあと、新設された環境エネルギー部で太陽光発電の担当になり ました。 その時の企画室が今のエースユ ナイテッド株式会社(当社の持株会 社)の前身とも言えますし、環境エネルギー部はいま、エネルギーマネジメントのコンサル事業に形を変えて、表さん(表伸也(おもて しんや)取締役環境・エネルギー部長 兼 上席コンサルタント)を中心に業績を伸ばしています。
2017年から工務部をまとめるポジションになりましたが、新しいことに先陣を切って取り組んできたことが財産ですし、それによって会社の多角化の方向性も定まってきたように感じています。
当社は会長も社長も常にアンテ ナを高くして未来への可能性を追 求しています。その中からひとつ、 またひとつと実を結ぶものがどんどん増えてきて、より多くのお客様に貢献できる会社を目指したい と思っています。
編集部 本当に色々なチャレンジをしたことが財産と語る沢田満部長。その経験に培われた人柄で工務部をまとめてくださっていることがよくわかりました。このたびはありがとうございます。
※このインタビューは当社のレターマガジン「ミカドONLINE 84号」より転載したものです。