昨年連載していたリチウムイオン電池の簡単解説記事から、毎月特定の項目を掘り下げる『リチウムの斜め下』シリーズです。(※このシリーズの全記事はこちら)
2019.10.9追記
吉野博士は本日、ついにノーベル化学賞に受賞されました!!
おめでとうございます。
(以下は2018年8月時点の記事です)
以下は、当社会長が以前に書いた 『第3回 世界初のリチウムイオン電池は日本製』の一文です。
そしてその5年後、旭化成の吉野彰が炭素材料を負極とし、リチウムを含有するコバルト酸リチウムを正極とする新しい二次電池であるリチウムイオン二次電池(LIB)の基本概念を確立したのです。
吉野博士は旭化成???電池メーカーでも電化製品メーカーでもない旭化成がなぜリチウムイオン電池を開発したのでしょうか?そこで生まれて疑問に対して、記事の後追い調査のような形で少し調べてみました。
リチウムイオン電池の極材に最適な化合物を探せ
リチウムイオン電池を世界で最初に考案したのは、マイケル・スタンリー・ウィッティンガム(英)です。ウィッティンガムは、将来的に必ず訪れる石油枯渇後の生き残りをかけて、代替エネルギーを真剣に模索し始めたエクソンの目に留まり、31歳のときに招聘されて、1972年に同社の研究施設に入り、1976年に世界で初めてリチウムを電極に使った二次電池を提案しました。
しかし、リチウムが持つ不安定さや危険性を解消できず、その成果が研究の域を出ることはありませんでした。ですが、リチウムでも充放電が可能な二次電池をつくることができるという事実は、その後の電池開発の方向性を変えました。世界中の科学者がリチウムイオン二次電池として実用化するのに最適な正極材や負極材の探索にエネルギーを注ぎ始めたのです。
そんな中で翌年、オックスフォード大学のジョン・グッドイナフ教授と30代の若き日本人研究者だった水島公一氏が、当時、硫化物がメーンだった材料の探索から離れて酸化物に研究を切り替え、優れた正極材としてコバルト酸リチウムを共同で発見したのは前回お伝えした通りです。
失敗続きの研究生活
一方、旭化成の吉野彰氏はそれまで失敗続きの研究生活を送っていました。当時の旭化成は自社ブランド住宅「ヘーベルハウス」を立ち上げたばかりで付加価値の高い建材の開発を目指しており、吉野氏も「ガラスと結合するプラスチック」の研究に携わりましたが、このプロジェクトは2年で失敗に終わりました。
次に取り組んだのが、住宅用断熱材として使える「燃えない発泡体」ですが、これも2年で失敗。3番目は太陽光などの可視光線を吸収できる「光触媒」でしたが、これも3年ねばって結局失敗。けれど旭化成は長期的な視野を持って人を育てられる会社だったようで、吉野氏はそのたびに「将来に生かせる経験を身に付けることができた」そうです。
ポリアセチレンは何につかえる?
そんな吉野氏に大きなチャンスが巡ってきました。今度は同社で、導電性高分子化合物・ポリアセチレンを使った新素材を開発するプロジェクトが始まり、1981年からそれに携わることになったのです。導電性高分子化合物というのは電気を通すプラスチックのことで、この画期的なプラスチックを発明した白川秀樹博士はこの研究により後年(2000年)ノーベル賞を受賞しました。
吉野さんはポリアセチレンの性質を分析し、電池につかえるのではないか?と推論しました。その頃はすでに様々な電子機器の小型化が進んでいましたが、さらに小さくするためには電解質に水を使わないリチウム電池が最適なのです。なぜなら1.5V以上の電圧をかけると溶液中の水分が電気分解してしまうため、出力の大きい電池がつくれなかったからです。
けれどその頃はまだ、充放電が可能なリチウムイオン二次電池は発明されておらず、世の中にあるのはリチウムの一次電池のみでした。研究の結果ポリアセチレンが非水系の電池に向くことがわかり、吉野氏はこの素材を電池の性能を左右する負極材のほうに使おうと考えました。ところが今度はそうなると、負極のポリアセチレンと組み合わせて使えるリチウム化合物の正極材が見つかりません。
暗礁に乗り上げてしまった吉野氏は、年末のある日、大掃除を終えてヒマになった午後に、取り寄せたまま手つかずだった海外の研究文献を何となく読み始めたら、思いがけない論文と出会います。
それが英国のオックスフォード大学で研究していた米国のジョン・グッドイナフ教授が80年に発表した論文で、「コバルト酸リチウム」という化合物がリチウムイオン電池の正極材になること、そして組み合わせる負極材がない、とも書かれていました。
これが大きなヒントになって、吉野氏は「正極:コバルト酸リチウム 負極:ポリアセチレン」の電池を試作して成功!ここにリチウムイオン電池の完成品に近い原型が誕生しました。
実はこの時期、世界中の化学者が、グッドイナフ博士のコバルト酸リチウムと組み合わせることができる負極材を血眼になって探していましたが、異分野だった吉野氏は素材メーカーとして最初から「ポリアセチレンの使い道」を目的に研究を進めていました。そのアプローチの差が偶然にもビッグな幸運を引き寄せたように思います。
ポリアセチレンをあきらめ炭素材料へ
しかしここでまたもや問題が。肝心のポリアセチレンには高温で保存すると劣化しやすい性質や、比重が軽いため電池の小型化に難があることがわかってきました。そこで吉野氏はあれほどこだわっていたポリアセチレンをあきらめ、ポリアセチレンに分子構造が似ている炭素材料に研究の対象を移しました。
ここで功を奏したのが、旭化成の別な研究です。1984年に旭化成は、当時注目され始めていた炭素繊維の研究を始めていましたが、そこで研究されていた気相成長法炭素繊維(VGCF)をつかって電池を試作をしてみると、VGCFが負極として抜群の性能を示したのです。
そしてついに、翌1985年、正極材にコバルト酸リチウム、負極材に炭素繊維(VGCF)というリチウムイオン電池が完成したのです。それまで研究者の研究でしかなかったリチウムイオン電池が、実現への大きな一歩を踏み出した瞬間でもありました。
吉野氏のインタビューを拝見すると、旭化成には結果を急がず他社があきらめても粘り強く成功を模索する企業文化があったようです。旭化成はその後、東芝と合弁企業をつくり電池製造に乗り出しますが、最終的には成功しませんでした。
しかし、基本特許を固めて10数社とライセンス契約を結ぶ共に、材料は単独事業として事業化。現在はセパレータの世界No.1メーカーとしての地位を築いています。セパレータは繊維加工、フィルム加工の技術を適用できるため、ここでも素材メーカーの強みを生かしていると言えます。
リチウムイオン二次電池の正極材と負極材の変遷
西暦 | 発見者 | 正極材 | 負極材 |
1976年 | マイケル・スタンリー・ウィッティンガム(英)/米国:エクソン社 | 硫化チタン | 金属リチウム |
1980年 | ジョン・グッドイナフ(米)、水島公一(日)/英国:オックスフォード大学 | コバルト酸リチウム | |
1983年 | 吉野彰(日)/日本:旭化成 | コバルト酸リチウム | ポリアセチレン |
1985年 | 〃 | コバルト酸リチウム | 炭素繊維(VGCF) |