刑事コロンボに見る当時の最新機器(6)パソコン

    みかドン ミカどん

    刑事コロンボは1968年から2003年まで米国で放送された全69話の人気ドラマです。このシリーズではドラマの中で当時の最新鋭機器という扱いで描かれている家電やシステムについてご紹介をしています。(ネタバレを含むので要注意!)

    第57話「犯罪警報」ではPCに残された文章のタイトルにコロンボが違和感

    刑事コロンボでは社会的地位の高い人物が犯人や被害者として登場することが多く、その裕福さを表す小道具として、当時は最新鋭だったと思われる電化製品やデジタル機器がよく登場します。

    (画像:youTube公式動画より)

    刑事コロンボ第57回「犯罪警報」(原題 Caution: Murder Can Be Hazardous to Your Health)は1991年に米国で放送され、その4年後に日本でも放送されました。

    この回ではコロンボが現場を訪れて「これは殺人ではないか?」(医者の見立ては心臓発作)と気づくきっかけのひとつとしてパソコンが登場します。(英語版ですが冒頭の動画をクリックするとその場面から再生します)

    被害者が亡くなっている部屋にはパソコンがあり、そこには打ちかけの文章が表示されたままになっていました。けれど機械音痴のコロンボが仲間に頼んで印刷してみると、被害者が過去に書いた文章とはタイトルの打ち方が異なっていました。

    (画像:youTube公式動画より)

    被害者は文章のタイトルをすべて大文字で打つ習慣があったようですが、パソコンから打ち出した文章のタイトルは大文字と小文字が混在したものだったのです。

    ほかにもいくつか有力な疑問点が見つかったため、コロンボはこれは殺人犯が心臓発作に見せかけた偽装工作では?という心証を強めます。

    さらに犯人がなぜこんな手の込んだ工作をするのか?と考えたときに、被害者のパソコンの中には本来、犯人に消された別のデータがあり、そこに事件のカギがあるのではないかと思い始めます。

    しかしコロンボは機械音痴でデジタル機器も苦手なので、被害者のパソコンにあった(実は犯人が偽装した)文章を打ち出すときも「まいったな…この操作、誰かわかる?」と周囲に呼びかけ、被害者の秘書に日常を尋ねる時も「あたしゃ、二本指でしか打てなくてねぇ…」と、お約束の会話を繰り広げています。

    この殺人は視聴者からの通報で未解決事件の犯人を捜す「殺人警報」という番組の人気キャスターが犯人でした。被害者は偶然彼が若いころ男優としてポルノビデオに出演していたことを知り、それをネタに犯人を脅したことがきっかけでした。

    この殺人事件では実は被害者もテレビキャスターです。被害者は自分が犯人に替わって「殺人警報」のキャスターになることを望んでおり、犯人の名声を傷つけるため犯人の過去を暴く内容を自分が担当するニュース番組で流そうと考えました。その原稿をパソコンにしたため、かつ脅しのネタとして使ったのでした。

    PCは1980年前後に一般家庭に普及し始めます

    (画像:WeLT

    この回が放送された1991年当時の米国では、すでにオフィスでは一人一台のパソコンが導入されていたようで、コロンボが事件の調査でテレビ局を訪れるシーンでは、その様子が映し出されています。

    しかしコロンボはその前年に放送(米国)された「完全犯罪の誤算」で「うちのかみさんも去年パソコンを買ってご機嫌」と話していますので、1990年前後の米国では一般家庭にもパソコンが普及し始めていたと思われます。(コロンボの「かみさん」はアクティブで先進的な人物であることがよくコロンボの口から語られています)

    今さらの説明になりますが、パソコンはパーソナルコンピューターの略称です。それまでは大きな部屋に設置する業務用・研究用機器だったコンピューターが小型化されて、個人ベースでも使える大きさと価格になってきたのが1980年代前半です。

    IBM 「PC 5150」(画像:trashbox.ru

    世界で最初のパソコンは諸説があるので割愛しますが、米国で普及のきっかけになったのが1981年のIBM 「PC 5150」です。この製品が世に出たことで、IBMのPCは「信頼できる企業の製品」として企業と家庭に一気に広まりました。

    といっても、マウスはなく画面の色は単色で初期のモデルは文字しか表示されず、操作はすべてキーボードでコマンドを打つテキストベースの命令でした。

    その後、1984年にAppleが家庭用パソコン「Macintosh(マッキントッシュ)」に初めてマウスを標準装備させ、このあたりから飛躍的にパソコンの機能が上がっていきます。

    NEC「PC-8001」(画像:tecnomatica

    一方、日本では1979年発売のNEC「PC-8001」が国内で商業的に大成功をおさめ、しばらくの間国産PCの標準機種として君臨しました。

    同じころ、シャープ(1978)や富士通(1981)や日立(1978)も国産パソコンを発売し始めますが、高価なうえに(プリンターと合わせると約50万円前後)使うのが難しく、当然できることも限られていました。

    1995年にWindows95が発売されて、自宅でもインターネットができるようになるまでは、ビジネス的によほど必要性がある人や趣味人以外は、日本国内でパソコンに魅力を感じる人は今よりずっと少なかったのではないでしょうか。

    器機の性能や発売年は米国と同等なのに、日本でパソコン普及が遅れた理由としては、日本語に対応したワープロが先に普及してしまったことも大きな一因だと言われています。またオフィスでは伝統的に「紙・FAX・印鑑文化」が長く続いたことで、積極的な導入は一部の部門にとどまり、全社的にIT化を推進するような気運もあまり高まりませんでした。

    世界的にトップレベルのパソコンを次々と輩出してきた日本としては、ちょっと残念ですね。

    (ミカドONLINE 編集部)


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