真空管の代替品が求められていました
トランジスタは電気の流れをコントロールする電子部品で、電気信号を増幅したり、回路のON/OFFを切り替えたりします。わかりやすい例としては、微弱な電気信号をスピーカーから聞こえる大きな音に変えたり、複雑な回路の様々な場所で電気の流れを、条件によってつないだり切ったりします。
トランジスタが誕生する前は、この機能を真空管が担っていました。ですが、真空管は熱を使うという特性もあり、経年による消耗劣化や寿命が避けられません。また、複数の材料が組み合わされた”機器”であるため、小型化にも限度があります。
1930年代、アメリカのAT&T社は米国全土に長距離電話の通信網を建設中でしたが、距離によって減衰していく音声信号を真空管で増幅していたため、 故障や寿命によるトラブルが多く、改善の必要に迫られていました。そこで 1936年に、真空管に代わるものとして、固体素子(単体で真空管と同じ働きが可能な電子デバイス)の開発をベル研究所に依頼していました。
そこで招かれたのが、のちにトランジスタを発明し、「トランジスタの父」と呼ばれるウィリアム・ショックレーでした。1929年に世界大恐慌の煽りを受けて長く研究者を採用していなかったベル研究所では、その分野の研究者がおらず、固体物理学者としてすでに高名だったMITのJ.スレータ教授の推薦により、門下生であるショックレーを採用したのです。
ベル研究所ではショックレーをリーダーに1938年に研究チームを発足させ、その配下に理論物理学者ジョン・バーディーンと実験物理学者ウォルター・ブラッテンなどが加わりました。研究は第二次世界大戦の勃発で一時的に中断したものの、その間に従事した軍事レーダーの研究を経て、やがて半導体のゲルマニウムに微量の不純物を加えたものを組み合わせると、電流の増幅作用が生まれることを発見しました。それが点接触型トランジスタと呼ばれる初期のトランジスタ発明につながり、1947年12月23日が公式な発明日とされました。
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悔しさをバネに一念発起
ところが特許申請の準備段階で、ショックレーは驚きました。1938年以来精力的に研究に専念し、発明の元になるアイデアを出したはずの自分の名前が、発明人の中に入っていないのです。これには既出の特許との抵触を避けた申請上の都合があったようですが、一説には「増幅機能の発見時にはその場におらず出張で不在だったから」とも言われています。
ですが、これにショックレーは怒り、「自分の名前だけを入れた特許を書く」と、研究魂に一気に火が点きました。元々ショックレーは、点接触型トランジスタは動作の安定感に不安が残るだけでなく、量産にも向かないと考えていたからです。
そして、点接触型のトランジスタ現象が発見されてから1週間後の1947年12月24日から一か月間、恐るべき集中力で可能性を探り、ついに年が明けた1月23日の朝に、現在のトランジスタの原型となる接合型トランジスタの着想を得ました。
ショックレーはその後も研究を重ね、1949年4月7日に動作原理を証明し、申請した特許は1951年9月25日に発効しました。そしてこの成果が大きく評価されて、1956年にはノーベル物理学賞を受賞しました。
しかしノーベル賞には同じチームだったジョン・バーディーンとウォルター・ブラッテンも名を連ねたため、それが不満だったのか、ショックレーは授賞式でも他の2名とはひとことも口をきかなかったというエピソードも残っています。
接合型トランジスタは瞬く間に世界を席巻し、電子産業を大きく塗り替える劇的な発明となりました。しかしそのエネルギーの源になったのは、怒りや悔しさなどのとても人間的な感情だったという点が、技術開発ヒストリーの面白いところかもしれませんね。
これらの逸話は、かつてNHKで放送された、電子立国日本の自叙伝でも取り上げられています。ちなみにショックレーは少々癖のある人物で、共同研究者や部下たちと良好な人間関係を結ぶのが苦手だった、と書いてある資料もあるようです。