前回の記事では、ラジカセのヒストリーをお伝えいたしました。そのラジカセと共に発展を遂げたのがカセットテープです。
カセットテープは世界で初めてラジカセを考案したオランダのフィリップス社によって、ラジカセ発売の4年前(1962年)に「コンパクトカセット」という名称で開発/規格化されました。
その当時は、ドイツのグルンディッヒ社も「DCインターナショナル」という名前で自社規格の普及を進めており、どちらの会社も、オープンリールテープではすでに圧倒的な世界シェアを誇っていたソニーに提携のアプローチをかけてきました。
二社から誘いを受けたソニーは最終的に、少し小さな「コンパクトカセット」(フィリップス社)のほうを選びました。するとフィリップス社は契約段階で法外なロイヤルティを要求してきたのです。しかしソニーはこれを拒否。ロイヤルティ値下げの提示に対しても「無料にしなければグルンディッヒ社と契約する」と主張したため、最後にはフィリップ社が折れ、「互換性を厳守し仕様を勝手に変えない」という条件で、ソニーは無料で契約することになりました。
当初はソニーだけ無料にする約束でしたが、独占禁止法への抵触や、企業としての公平性を懸念したフィリップス社は、他社に対しても基本特許の無料公開に踏み切ったのです。それが功を奏して、コンパクトカセットには多くの会社が参入し、瞬く間に世界中に広がっていきました。欧米では、カセットテープの普及にはフィリップ社の英断が大いに寄与したと考えられていますが、その裏には日本人の欧米モードの巧みな交渉術と踏ん張りがあったのです。
ちなみに、カセットテープに塗布されているフェライトという磁性体も、欧米ではフィリップス社の考案と思われていますが、実際は東京工業大学の加藤与五郎教授と武井武教授が1930年に発明したものです。また、両教授のフェライトをぜひ事業化したいと考えて設立されたのがTDK(旧名:東京電気化学工業株式会社)です。やがて、TDKのカセットテープ「SD」は世界的な大ヒット商品になりました。カセットテープは製品化される前も後も、日本人が大いに貢献している製品と言えるでしょう。
(画像出典:懐かしのカセットテープ博物館)