【雑学】最初の駅伝はイベントのために企画・命名されたもの

    不忍池の駅伝の碑

    スポーツの秋です。気候が涼しくなったのを機に運動を再開された方も多いのではないでしょうか。これからはマラソンや駅伝の大会なども増えてきますね。

    マラソンは古代ギリシャの故事にあやかり、アテネで開催された第1回オリンピック(1896年)で考案された競技ですが、日本が発祥の駅伝も、1917年(大正6年)に「東京奠都(てんと)五十周年奉祝大博覧会」というイベントの一環として企画されました。コースはなんと、京都の三条大橋から上野の不忍池まで23区間、約508kmを昼夜を問わず走り抜けるもので、4月27日に京都を出発して最終ランナーがゴールにたどり着いたのは、翌々日の午前11時34分でした。

    この駅伝の名前は「東海道駅伝徒歩競争」。都(天皇のお住まい)が京都から東京に変わって50年経ったことを記念する博覧会だったため、明治天皇の江戸城入城を再現するルートとして東海道が選ばれたようです。また名前もそのときに、主要な道に駅を置き、馬や宿を提供した古代の「駅馬伝馬」制度から拝借して、レースを企画した読売新聞社が学者の意見を参考に命名したとのこと。

    ちなみにチームは関東組と関西組の2チームで、勝った関東組のアンカーは当時27歳だった金栗四三(かなぐり・しそう)さん。彼はその後、オリンピックに出場した日本初のマラソン選手として有名になりました。一方、負けた関西組のアンカーは52歳の国会議員だったそうです。勝負する気があったのか、それとも年齢を超越した俊足の持ち主だったのか、それは誰にもわかりません。

    参考:世界初の駅伝は「京都-上野」 100年前、3日で500キロWikipedia