エジソンが考案した直流配電方式は米国の標準となり
莫大な特許権益をもたらしましたが、
電気の使用量が増加するとそれに伴う
電圧降下の問題が大きな障害となり始めました。
1887年エジソンの従業員であったテスラは
交流発電機(Alternator)、変圧器、交流電動機等を発明し、
直流方式の問題を交流方式で解決しようと
エジソンに提案しましたが断られてその後退社しました。
早くから交流技術に取り組んでいた
ウェスティングハウス(発明家・起業家)は
テスラの発明を真っ先に認め、
特許を高額で購入して交流方式を商業化したため、
エジソンの直流方式と真っ向っから対立することになりました。
交流方式の優位性と特許権益の行く末に
大きな脅威を感じたエジソンは、
歴史に汚点を残すようなネガティブキャンペーンを繰り広げ、
両者の対立は「電流戦争」と呼ばれるほど激化しますが、
この争いは交流方式がナイアガラ瀑布の
水力発電所で採用されたことで決着が付きました。
そしてこれが世界最初の長距離送電になり、
現在の送電技術の土台となっています。
◎テスラの発電機と設備
https://homepage-town.jp/mikado-d/reference/201407.html#history
テスラの発明は、エジソンが
「交流方式を完成させたら$50.000のボーナス出す」
と約束したのがきっかけと言われています。
その後エジソンは「冗談だった」と、約束を反故にし、
ここから確執が始まったという見方も。
エジソンは高等数学を学んでいないため
難易度の高い交流方式の計算ができず、
数学の才能を持っていたテスラに
ジェラシーを感じていたのかもしれませんね。