【リチウムイオン電池講座】<斜め下から掘り下げる>⑧世界初のリチウムイオン二次電池発売。ソニーの勝因は商品化への執着

    みかドン ミカどん昨年年末まで連載していたリチウムイオン電池の簡単解説記事から、毎月特定の項目をピックアップし、リチウムイオン電池のさらなる雑学を斜め下から掘り下げる『リチウムの斜め下』シリーズです。(※このシリーズの全記事はこちら

    SONYリチウムイオン二次電池初出荷モデル(出典:電池工業会)

    今回のピックアップはソニーの勝因について

    以下は、当社会長の沢田が書いた『第3回 世界初のリチウムイオン電池は日本製』の一文です。

    なお水島氏、吉野氏とリチウムイオン電池製品化に向けて功績のあった西美緒氏の3名の日本人は、グッドイナフ氏とともに、ノーベル化学賞の有力な候補者とされています。

    水島公一氏は研究者として渡英し、オックスフォード大学のグッドイナフ教授と共にリチウムイオン二次電池の酸化正極材を開発しました。
    吉野彰氏は旭化成で炭素をつかった負極材も開発し、現在のリチウムイオン二次電池の原型となる基本構造も考案して現在の技術の基礎をつくりました。
    ですが、世界に先駆けてリチウムイオン二次電池を商品化したのは吉野氏の旭化成や旭化成と合弁会社をつくった東芝ではなく、西美緒氏のソニーだったのです。

    今回はいったいなぜソニーが「世界初」のリチウムイオン二次電池を世に送り出すことができたのか?にスポットを当てたいと思います。

    技術面では大差がなかったLiBの極材開発

    1980年代のリチウムイオン二次電池(以下LiB)の開発は最適な極材の探索に焦点が絞られ、それぞれの研究者は誰もが血眼になって新素材の開発に明け暮れていました。
    水野氏も吉野氏もそれぞれのインタビューで答えていますが、当時は誰が1等賞になってもおかしくない状況で、二人とも「偶然が幸いした」という主旨の発言をなさっています。

    なので西美緒氏のソニーも世界が驚くほどの画期的な研究をしたわけではなく、他の研究者と同様に、過去の先駆者の研究を土台にしらみつぶしに極材の探索にまい進していたのだと思われます。

    ですが、結果的に「世界初」をさらっていったのはソニーでした。

    LiBの生みの親と言われている旭化成(当時)の吉野彰氏は、ソニーのLiB商品化のニュースに対しては「寝耳に水」だったようで、LiB開発に関してその頃のソニーは、ダークホース的な存在だったかもしれません。

    周囲も当事者も「予想外」だった大躍進

    独自に研究開発を続けていたソニーが開発したLiBは、 1991年に京セラの携帯電話に搭載されて、世界で初めて商品化されました。
    その後、ソニーのLiBは自社のビデオカメラに搭載され、やがて当時出たばかりのノートパソコン市場の追い風に乗って急激にシェアを拡大。LiBとしては初めて事業化に成功した会社となりました。

    ですが、開発者の西美緒氏自身もその急激な波は予想外だったようで、後年、「 1990年代の導入期には,家庭用ビデオ・カメラやMDプレーヤのようなAV機器を Liイオン2次電池の応用のターゲットにしていました。しかし,少量の生産量で十分対応でき,この電池が主流になるという予感はまったくありませんでした。」と述べています。(出典:日経XTECH

    ”LiBの父”の吉野氏にも「寝耳に水」と思われ、開発者ご自身も「主流になる予感はまったくなかった」と言っているソニーのLiBですが、そこには当時のソニーらしい戦略がありました。

    ハイリスクハイリターンを選んだソニー

    あるレポートによると、その頃ソニーの関係者が「三洋や松下電池などニッケル水素電池で成功していたメーカーは、リチウム系の二次電池の開発となると及び腰だった」と発言しているそうです。(出典:次世代技術の選択と競争戦略

    当時のLiB開発は未解決の難問が山積みだったため、極材を探索する研究者でさえも「実用化はまだまだ先」と思っていました。
    技術的な基盤が確立されたとしても、商業ベースに乗るのは遠い未来のことだと誰もが思っていたのです。

    ですが逆にそこに目を付けたのがソニーでした。

    ソニーはそれまで二次電池を製造しておらず、ニカド電池やニッケル水素電池で先行していた他社のような二次電池製造のノウハウがありませんでした。
    しかしだからこそ、LiBに大きな魅力と将来性を感じ全社をあげて商品化に取り組むことにしたのです。商品化ということは事業化することです。ソニーの目標はあくまでも他社にないオリジナルな自社製品の販売でした。
    そこが、まだまだ研究開発の域を出ていなかった他社との大きな違いだったと思います。

    LiBは、電解液にそれまでのアルカリ水溶液でなはく、非水系電解液である有機溶媒をつかう従来にはないタイプの二次電池でした。
    つまり二次電池で先行していたほかのメーカーにとっても未知の新しい技術だったのです。

    そのため他社はまだまだ不安要素が大きいLiBには手をを出しかねていましたが、その間隙を縫って商品化ひと筋に本気を出していたソニーに追い抜かれてしまったのが真相のようです。
    その背景には、既存の二次電池技術を持っていなかったソニーのやる気と思い切りのよさが反映したといってもよいのかもしれまん。

    それと前後するように、1989年に東芝が世界初のノートパソコン「Dynabook J-3100SS」を発売。やがてNECやIBMやアップルも参入し、ノートパソコンの電池としてLiBは瞬く間にマーケットが拡大しました。

    当初は「自社のAV機器の電池の内製化」という位置付けだったソニーのLiBは順調に業績を伸ばし、一時は世界シェア9割近くを占めたこともあるそうです。

    余談ですが、ノートパソコンの著しい普及の一端になったのは、 あるパソコン・メーカーが,「米国のニューヨークからロサンゼルスまでの5時間のフライト中で充電なしに使用できる」という宣伝広告を打ち出したのがきっかけだったそうですよ?(出典:日経XTECH

    現在はリチウムイオン二次電池からは撤退

    飛ぶ鳥を落とす勢いだったソニーのLiBですが、やがてアジア勢の台頭に押されて販売が落ち、同社のリチウムイオン二次電池部門は昨年(2017)9月に村田製作所に売却されました。

    ソニーは今も独特の発想が残っており、自動車電池に本格参入しなかったことも、「人命にかかわる事業はやらないという創業者 井深大氏の教え」という意見があります。(出典:産経Biz

    現在のソニーはLiBから離れ本業のエレクトロニクス事業で選択と集中を進めており、電子部品事業では「電子の目」とされる画像センサーに経営資源を集中しているとのこと。

    ソニーらしい一極集中?で今後はどうなっていくのでしょうか?リチウムイオン二次電池について書いたつもりでしたが、これまた「予想外」の着地点になってしまいましたね^^

    参考:次世代技術の選択と競争戦略(Ⅰ)ー二次電池業界における新規企業が参入に成功するための要員の分析ー