ホットサンドの人気が復活!
今からずっと前の昭和の時代、仙台の国分町のビジネス街のほうに、珈琲館「CARINA(カリーナ)」というお店があり、モーニングメニューのホットサンドが大人気でした。私はそのお店ではじめてホットサンドを知ったのですが、2015年の「マツコの知らない世界」で取り上げられたことがきっかけで、再び人気が復活しました。Twitterを見てみると、新たなニーズに火が点いただけでなく、テレビを見て何十年も家で眠っていた古いホットサンドメーカー(焼き器)を取り出した人も相当いらっしゃったようです。
テレビ見てたら、祖父の形見でホットサンドメーカーを持ってきたことを思い出してやってみたら楽しい!! pic.twitter.com/kPV4wiq6Tc
— ぎ🍓 (@nijihachi) 2015年10月20日
さて、上の写真を見てみると、ホットサンドメーカーの表面にBAWLOO(バウルー)って書いてありますよね。BAWLOO(バウルー)はこのホットサンドメーカー(焼き器)の商品名なのですが、1970年代に大ヒットして今ではホットサンドメーカー(焼き器)の代名詞となっているため、Amazonで「バウルー」で検索すると複数の会社の類似商品が出てきます。
ですがバウルーは元々、この商品を販売している会社(バウルー株式会社)の名前でした。そしてその社名は、ブラジルのサンパウロ州バウルのスナックバーで考案されて世界中に広まったブラジル風ホットサンドの名前に由来します。
このメニューの発案者は、カジミーロ・ピント・ネット(Casimiro Pinto Neto)で、弁護士であり放送関係者でもあった人ですが、彼が法学生の頃あるお店で、炭水化物(パン)もタンパク質(ローストビーフ)も脂質(チーズ)も、ついでにビタミン(トマト、ピクルス)も入った栄養上完璧な食べ物として、自分で考えたメニューをつくってもらい、それが好評を博したことからスナックバーがあるバウルの地名が料理名として普及し、彼自身もバウルというニックネームで呼ばれました。
日本では1970年代に大ヒット!
バウルと呼ばれたホットサンドはブラジルですっかり市民権を得て、やがてバウル用のホットサンドメーカーもつくられたようですが、知人がブラジル土産として持ち帰ったそれを目にして、日本での生産を決意したのが、のちにバウルー株式会社を設立した渡辺万三男氏でした。
バウルー㈱の渡辺氏は新潟県燕市にある田巻金属株式会社に商品開発と製造を依頼し、バウルー社のホットサンドメーカーは大ヒット商品になりますが、残念なことにバウルー社は新規事業の不振から倒産。しかしバウルー社のホットサンドメーカーは田巻金属がそのまま製造を続け、販売は別会社に引き継がれることになりました。
その会社の名前がなんとイタリア商事!イタリアの家庭用品や食材、厨房機器などを輸入販売する会社ですが、実はこの会社の社長さんがバウルー社の社長さんと親しく、共にブラジルへの視察旅行などにも行った間柄だったのです。こうして、ブラジルゆかりのバウルーがイタリア商事から販売されるという、一見不思議なスタイルになりました。
日本のバウルーはオリジナルスタイル
さて、カジミーロ・ピント・ネットが考案して、のちにバウルと呼ばれるようになったスナックバーのホットサンドはフランスパンが使われていて、厚みがあってボリュームたっぷりのメニューでした。それを日本で一般に市販されている食パンのサイズに設計し直し、焼き加減や仕上がりの食感のために様々な改良を施したのは、製造元の田巻金属だそうです。
こうして、ブラジル生まれのバウルーは日本の ものづくり の技術を経て、世界で食べられているバウルとは見かけの異なる、日本独自のメニューとなりました。最後に、今もバウルが生まれたスナックバー「ポント・シック(Ponto Chic)」でつくられている元祖パウルのつくり方をご覧ください。ちなみに「Bauru」で動画検索すると、世界中のBauruが見られますよ!
(参考:バウルーの歴史)