このサイトでは2020年にオーストラリアの褐炭を使った水素の製造と運搬について取り上げました。今回はその実証実験の「その後」について書いてみたいと思います。
マイナス253度で液化水素を運ぶ世界で初めての水素運搬船
川崎重工業、大林組、関西電力、神戸市、HySTRA(ハイストラ/CO2フリー水素サプライチェーン推進機構)の5者は去る6月23日、神戸市中央区のポートアイランドにある「水素CGS実証プラント」での発電実証に、オーストラリアから輸送してきた水素を使ったと発表しました。
一見地味で平凡なニュースに思えますが、ここに至るまでの道のりはすべてが「世界で初めて」トライされた技術の連続でした。
まず、日本では今まで外国から水素を輸入したことがありません。現状はそこまでのニーズがないということもありますが、水素は極低温でなければ効率のいい運搬ができないため、そもそも今までは海上を運ぶ方法がまったくありませんでした。
水素を効率よく運搬するには、マイナス253度まで冷やす必要があります。水素はそれによって液化し、体積が800分の1まで減るからです。しかし現在輸送手法が確立している液化天然ガス(LNG)でさえ貯蔵温度はマイナス162度。それよりもさらに大幅に冷却貯蔵して運べる船はこの世に存在しなかったのです(おおげさ?)
その難題に臨みマイナス253度で液化水素を海上輸送できる船を世界で初めて作ったのが、LNGタンカーで実績のある川崎重工です。
しかし世界ではまだ誰もマイナス253度に保った液化水素を船で運んだことがないのですから、そのための出荷基地も船舶の運航も港湾の荷役設備もすべてが世界で初めての取り組みでした。
この実証事業に関しては当サイトでも過去に取り上げておりますので、詳しくはそちらをご覧ください。
👉 (過去記事)驚異のエネマネ新技術(08) ~豪州の褐炭を水素化して日本で流通させる~
豪州褐炭水素サプライチェーンの実証が完遂
今年(2022年)の4月9日、神戸空港島の神戸液化水素荷役実証ターミナルで、この実証事業の成功を記念する式典が開かれ、岸田首相や参加企業の社長など約50名が出席しました。
🌍(動画)オーストラリアの褐炭から「水素」を製造し日本へ海上輸送 実証事業成功の記念式典(2022年4月10日)
ウクライナやロシア情勢でも報道されているように、一国の政情や施策は世界のエネルギー事情に大きな影響を及ぼします。それに加えて日本では東日本大震災という大きな災害もありました。
日本がエネルギーの安定供給や国の安全保障のために「水素基本戦略」(2017年)を策定し、次世代の燃料として水素に照準を合わせたのは、すでに産地や供給体制が確立している既存のエネルギーではないところに活路を求めたからです。
そこでこの実証事業の事業主体であるHySTRA(ハイストラ/技術研究組合 CO2フリー水素サプライチェーン推進機構)※1は、オーストラリアで未利用になっている褐炭に着目しました。
褐炭とは低品質の石炭のことで、水分と不純物を多く含むため発電効率が悪く、しかも自然発火する恐れがあるため輸送にも向かず、これまでは炭鉱近くの発電所でしか使う用途がないものでした。その褐炭がオーストラリアには380億トンもあり、中でもビクトリア州には日本の総発電量の240年分の褐炭が眠っているそうです。
HySTRAは、ほとんど値も付かないというこの手つかずの資源に目を付け、豪政府やビクトリア州政府と連携してこの褐炭から水素をつくり日本に運ぶという壮大な実証実験に2015年度から着手し、このたびそれが完遂したというわけです。
日豪の利害が完全に一致!
HySTRAでは2030年ごろにこの事業を商用化したい、としています。また気になるコストですが、この事業を支援している日本政府は、2030年の輸入水素のコスト目標を30円/Nm3※2(プラント引渡しコストベース)と定めており、これは現在の水素ステーションにおける水素価格の1/3 以下に相当するそうです。原材料の破格の安さがコストに反映できるかどうかが注目されるところです。
日本が官民挙げて取り組むビッグなこの事業は、実はオーストラリアにも歓迎されています。オーストラリアは米国、ロシアに次ぐ世界第3位の石炭産出国ですが、国内には石炭産業が経済基盤を強固に支えている地域も多いため、脱石炭は同国にとって非常にナーバスな問題であり、近年の政権交代の多くは脱石炭政策への賛否が引き金になっているようです。
そのためオーストラリアは国際社会でも野心的な目標を宣言することができず、欧州各国から鋭い批判を浴びているという話も耳にします。
そんな同国で石炭以上にやっかいな存在だった褐炭から、燃焼時にCO2を出さない水素を日本が作って輸入するという取り組みは、両国の脱炭素を推進するうえでもまさに利害が一致した事業と言えるでしょう。
しかし、今後に向けての課題もまだ残っています。
競争の激化、そしてクリーン水素基準の引き上げ
豪州褐炭水素事業は水素先進国の日本が先行して取り組む優位性のある事業です。残す課題はコストダウンのみと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、状況はそう甘くはありません。
🌍中国初のメガワット級水素エネ実証ステーションが稼働 安徽省
以前は日本が水素に注力していることに対して「独自の単独路線過ぎてむしろ世界に取り残されている」という意見もありました。しかし現在は、この7月に中国がメガワット級水素エネルギー総合利用実証ステーション運用を開始するなど、各国が水素に目を向け投資を増やし始めています。
ドイツ政府も国内に15カ所あるFCV用水素ステーションを2030年までに1,000カ所に拡大する方針を掲げるなど、水素社会の実現に向けて積極的に国が音頭を取り始めました。「もはや日本は遅れている」という見方もあるぐらい他国の猛追が激しいです。
そしてオーストラリアも日本だけを頼っているわけではありません。水素輸出大国を目指し始めたオーストラリアは韓国やシンガポール、ドイツ、カナダなどとも水素利用や開発に関する覚書を交わしており、日本としては一刻も早くビジネスモデルを構築したいところです。
🌍 「ブルー水素」、欧米がCO2削減の基準強化 日本出遅れ(会員限定記事)
新たな懸念の二つ目は、欧米が最近になって、クリーン水素の基準を引き上げたことです。
残念ながら本稿でご紹介した日本の豪州褐炭水素プロジェクトは、改質と言って化石燃料から水素を取り出す従来通りの作り方です。つまり今回の実証段階では水素の生成時にCO2を排出しています(グレー水素)
HySTRAの計画では、商用の際にはCO2を地中に埋めて大気に放出しない手法(ブルー水素)を取るようですが、欧米各国の間では「再エネ電力を使って電気分解生成される水素(グリーン水素)だけがクリーンなエネルギー」と定義する見方もあり、万が一それが世界標準になってしまうと、日本が開発した豪州の褐炭水素はクリーンエネルギーと認められない可能性も出てきます。
前途洋々とは言い難い側面もある日本発の豪州褐炭水素ですが、国同士が切磋琢磨する中から未来を変えるようなブレイクスルーが生まれてくればいいな、と思ったりします。
尚、ブルー水素、グリーン水素、グレー水素については以下の過去記事をご参照ください。
👉 (過去記事)エネマネ最新事情(31) ~水素の価値が急浮上!世界が競い始めたのはただの水素ではなく「グリーン水素」~
(ミカドONLINE編集部)
参考/引用記事: 世界初の「液化水素運搬船」実証成功、神戸で記念式典 「カーボンニュートラル社会へ大きな一歩」 日豪間で液体水素を輸送 褐炭利用にコストとCO2フリーの高い壁 オーストラリアにおける水素産業に関する調査(PDF) Vol.40 クリーン水素の基準をEUが強化 試される日本の水素戦略 など
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