単位の歴史(16)~ボルト:蓄電池の発明はカエルのスープから始まった?~

    自動車バッテリー_GS-yuasa

    ボルトは電圧と電位差と起電力の単位です

    鉛蓄電池の構造_28-1
    鉛蓄電池の構造(画像:二次電池の話

    ボルトは電圧の単位です。二点間の電位差とも言われますが、「どちらも同じ意味」と言われると混乱しますよね。ましてや高低差を表す山のイラストや水の流れで説明されると、余計わからなくなる気もします。

    個人的には電気は電子の流れであり、電圧は電子が動こうとする力であると捉えるとしっくりくるのですが、こういったイメージのつかみ方も人それぞれかもしれません。

    自動車のバッテリーは12Vです。電位差で表すと負極は0Vで正極は12Vです。つまりその分だけ電子が動こうとする力(潜在能力のようなもの(笑))(電位差)がありますが、このままでは周回する通り道がないので能力を発揮する手段がありません。つまり電気は起こりません。

    それを車に取り付けて線をつながって回路となったときに初めて、12Vの力で電子が流れて電気が起こり、エンジンを開始させるセルモーターに電気を供給したり、ライトを点けたり、ナビを動かしたりするわけです。このときの蓄電池の12Vはこの電気回路の駆動力になっているので、起電力とも呼ばれます。

    ボルトの単位はボルタ電池を発明したボルタにちなみます

    アレッサンドロ・ボルタ_Alessandro_Volta
    アレッサンドロ・ボルタ(画像:Wikipedia

    ボルト(V)という単位は、1874年(明治7年)に英国科学振興協会 (BAAS) によって定められ、1881年(明治14年)の国際電気会議(現在の国際電気標準会議(IEC))により承認されました。

    この時代の日本のできごと
    西郷隆盛_sq_Saigo_Takamoriボルタが単位として国際制定された時代の日本は、西南戦争(1877年/明治10年)が起こり西郷隆盛が自害し(1877年/明治10年)、大久保利通が暗殺される(1878年/明治11年)など明治の過渡期の真っ最中でした

    ボルトの単位はボルタ電池を発明したアレッサンドロ・ボルタ(1745年 – 1827年)にちなんで命名されたものです。ボルタは単位が国際制定される半世紀以上前のイタリアの物理化学者ですが、同時代の同国の物理学者であるルイージ・ガルヴァーニの実験を知り強く興味を持ちました。

    ルイージ・ガルヴァーニはふとした偶然から死んだカエルの足にメスを入れるとカエルの足に電気が発生して痙攣することを発見し、「カエルの足は電気を蓄えている」と考えて動物電気と名付けました。

    ボルタの電堆_Voltaic_pile
    (画像:I, GuidoB, CC 表示-継承 3.0, wikimedia

    ボルタはこの実験を追試し、さらに研究を深めた結果、電気が筋肉や神経ではなく実験に用いた2種類の金属の接触に由来すると考え、カエルの脚の代わりに食塩水に浸した紙を使い、それを2種類の金属で挟むことで電気の流れが生じることを確かめました。

    やがてボルタは物質には電荷を帯びやすいものとそうでないものがあることを発見して序列化し、電解質を挟んだ2種類の金属電極で構成されるガルバニ電池の起電力は、2つの電極間の電極電位の差であるという法則を発見しました。

    そしてガルヴァーニに反証するため、ボルタの電堆(でんたい)をつくりそれを改良して1800年(寛政12年)にはボルタの電池を発明し、これが現在の蓄電池の基礎になりました。

    この時代の日本のできごと
    本居宣長_Motoori_Norinagaボルタの電池が発明された時代の日本は、本居宣長が『古事記伝』を完成させ(1798年/寛政10年)伊能忠敬が蝦夷地を測量(1800年/寛政12年)していました。

    ガルヴァーニの妻のカエルのスープのエピソード

    ガルヴァーニの妻とカエルのスープ_Galvani's discoveryGalvani's discovery
    (画像:alamy.com

    ボルタの電池発明の元になった実験は、同時代の物理学者であるガルヴァーニのカエルを使った実験でしたが、その最初の発見となったカエルは、ガルヴァーニの妻がスープにするために準備したものだったというエピソードがあります。

    ただしそれにも諸説があって、妻のルチアが自分で準備したものであるとか、結核を患っていた妻に精をつけさせるためにガルヴァーニが準備した、または病弱な妻が食べたがったなど、色々です。

    偉人伝などによくあるように、このエピソードも真偽のほどはわからず、後から作られた伝説とも言われていますが、お隣の国のフランスではグルヌイユというカエル料理があるそうなので、まったくの見当はずれというわけではないのかもしれません。

    カエルのスープの話は海外でポピュラーなようで、欧米のまじめな解説サイトでもよく掲載されています。もしそれが本当だとすると、偉大なボルタの電池の発明もきっかけは「カエルのスープ」だったわけで、そう考えるとなかなか愉快です。

    9月9日はガルヴァーニの誕生日です。昨年の同日、英国工学技術学会のTwitterアカウントが以下の投稿を行っていますが、やはり「彼の妻がスープのために準備していたカエル」と書かれています。きっとみんな、この話が好きなんですね。