今回から新シリーズ「雑草!名もなき草の名を知ろう」を開始します。先日それについての編集会議で当社の沢田社長から「そもそも雑草ってなに?」という提議がありました。確かに!。。。なので第1回目の今回は雑草の様々な定義についてお伝えいたします。
雑草の定義は様々だ!つまり決まっていない
私の手元に一冊の本があります。それは『雑草のくらし』という絵本です。この絵本を読むと小さい頃遊んでいた空き地の風景がよく思い出されるので、書店で偶然目にしたときに懐かしくてつい買ってしまった本です。
子供にとって雑草は四季の変化を感じさせてくれる風景の一部ですが、大人になるとそういうわけにもいきません。
取っても取っても生えてくる庭の草や、住人のいなくなった家を埋め尽くす植物を気味悪く感じたり、夏場の堤防下の道路ではのり面の雑草が走行する車に触れるぐらい伸びているときもあります。
このサイトでも過去に、雑草を太陽光発電の邪魔者としても何度か取り上げていますが、考えてみると私たちは山の中に自生している草花を雑草とは呼びません。そうすると感覚的には景観の悪化を含め、人間にとって何らかの害がある植物の総称ということになりそうです。
➡ 驚き!太陽光発電のびっくりトラブル。あなたのパネルは大丈夫?(2018.5.3)
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Wikipediaを見て見ると、雑草の定義は様々で「個々の人間の主観、価値観により変わり、どの種が雑草であるかの定義も人それぞれである」と書かれています。その中からいくつかをご紹介すると以下のようなものになります。バラバラであるということは特に決まっていないということですよね。
- 農学の立場からみて「作物に直接または間接的な害をもたらし、その生産を減少させる植物」(荒井:1951)
- 植物生態学の立場からみて「人の活動で大きく撹乱された土地に自然に発生・生育する植物」(ハーパー:1944)
- 一般人の立場からみて「人々の身の回りに自生する草」(=人里植物)
- 「人類の活動と幸福・繁栄に対して,これに逆らったりこれを妨害したりするすべての植物」(アメリカ雑草学会)
アメリカ雑草学会の「人類の活動と幸福・繁栄」という文言がちょっと大げさで笑えますが、太陽光発電の収益に一喜一憂している発電事業者さんにとってはそれもまた当てはまる表現かもしれません。
雑草は打たれ強い、そして変化する
環境に共通する特徴は極めて人為的撹乱を激しく受ける場所だということです。運動場や道路脇では、強い日照、水不足、土壌の少なさと乏しい肥料分、埃や煤煙、それに踏みつけがあり、その上に少なくとも数か月ごとに草刈りが行われます。
畑や庭園では、水や土壌などの点で植物の生活に適していますが、土壌は定期的に撹拌され、草刈りの手入れは、もっと頻繁に行われます。
このような環境で生活を営み続けられるのは、その生活に強く適応した植物です。そして主な活動場所は人家の周りや人里周辺に限られます。
興味深いことに世の中には「雑草学」という学問もあるそうですが、それは雑草の特徴を明らかにし、雑草を防除する方法を開発することが目的だそうです。
なかでも「除草剤抵抗性雑草」と言って、除草剤の使用によって除草剤の効かない雑草が出現していることで農作物の収量低下の大きな原因になっており世界的な問題とのこと。
ちなみに多くの除草剤は生物学的に人間を含めた動物には効果が無いようにつくられているそうですが、それらを含め詳しくは以下のブログをご覧ください。
江戸末期まで雑草の概念はなかった
雑草は世間一般に普通に使われてる言葉ですが、江戸時代の末期までは雑草という概念はなく単に「草」という言葉でまとめられていたようです。
重要だったのは薬としての効能や食べられるかどうかのほうであり、歴史上、雑草という言葉が初めて出て来た「本草図譜」(1828年/文政11年)でも「雑草」は作物の収量を低下させる植物や人の役に立たない植物を指すのではなく、効用や性状の判然としない植物を指していました。
今の感覚に近い概念を提唱したのは北海道大学農学部の前身である札幌農学校の半澤洵博士で、博士が著した専門書「雑草学」で初めて「雑草とは人類の使用する土地に発生し、人類に直接或いは間接に損害を与ふる植物を云ふ~」という記述が出てきます。
(出典)江戸末期まで日本に「雑草」という概念が存在しなかったワケ【雑草学博士が解説】
厄介者の雑草ですが、皆さんはひとつひとつの名前がわかりますか?このシリーズでは次回からそんな雑草の名前や特長をご紹介していきたいと思います。
(ミカドONLINE編集部)