2022年10月現在での日本人ノーベル賞受賞者は28人です。ですがいったい何をした人なのかよくわからないという方も多いのではないでしょうか?今回は共同研究で2008年にノーベル物理学賞を受賞した小林誠博士と益川俊英博士です。
素粒子の小林・益川理論でノーベル物理学賞を受賞
小林誠博士(受賞時:高エネルギー加速機構名誉教授/1944―)と益川敏英博士(受賞時:京都産業大学/1940 – 2021)は共同研究により2008年(平成20年)にノーベル物理学賞を受賞しました。
小林博士は64歳、益川博士は68歳でした。
授賞理由は「クォークが少なくとも3世代以上存在するということを予言する対称性の破れの起源の発見」というものです。
前回同様に今回も、難解すぎてよくわかりませんが、対象となったのは前回の南部陽一郎博士の理論を応用した素粒子分野の研究です。
物質を原子(原子核と電子)→原子核(陽子と中性子(と中間子))と、どこまでも細かくしていったときの最小単位がクォークと呼ばれる素粒子で、その当時は3つまでがすでに発見されていました。
しかしその3種類だけでは説明のつかない現象が自然界では起こっており、その謎を解明する「小林・益川理論」が評価されて受賞につながりました。詳しい解説はしませんが、この理論は宇宙が存在する理由にも大きく関係しているそうです。
お風呂で浮かんだ新理論のアイデアでしたが・・・
特長的なのは、クォークの数を3世代6種類としたことです。実はそれまで3種類のクォークで解決できない現象は4つ目のクォークの発見で解決されるのではないかと思われていました。そのため小林博士や益川博士の周辺では「4つめのクォーク」にこだわる傾向がありました。
益川博士もその考えで研究を進めていましたがどうしても計算が成り立たず、最終的に「4つのクォークでは結論が出なかった(わからなかった)」という論文を仕上げて終わらせようとしたそうです。
しかし共同研究していた小林博士に「それはダメ」と却下されてしまい、その後、益川博士がお風呂に入っているときに急に6種類のアイデアが浮かんだそうです。
それを日本語で論文に書き上げ、小林博士が英訳して発表したのが1973年のことでした。ちょうど今から50年前ですから、小林博士は29歳前後、益川博士は33歳前後だったと思われます。
しかしこの論文は当時の常識からみればかなり大胆ななものだったので、論文は注目されず、他の論文に引用された回数も、発表後2年間でわずか2件でした。
クォークは存在の状態によって「世代」というグループに分けられますが、第一世代のアップクォーク、ダウンクォーク以外は自然界には存在しません。存在しなければ証明もできずこの理論はほとんどその後もほとんど参照されることもなく時間が過ぎていきました。
現在は素粒子部門でトップクラスの論文引用回数
しかし、すぐに風向きが変わってきました。翌年、米国の研究機関が4番目のクォーク(チャーム)を発見、その後1977年にボトム、1995年にトップという種類のクォークが発見されたのです。
また、1976年には、米国で名の知られていた菅原寛孝博士らが、小林・益川理論を引用した論文を書いたことで注目度は上がり、引用も爆発的に増えました。
しかしクォークが6つあることがわかっただけでは二人の理論の正しさはまだ証明されません。小林・益川理論の正しさが証明されるには、実際にクォークがその理論通りの動きをしているかどうかを確かめなければなりません。
確かめなくてはいけない現象は「CP対称性の破れ」と呼ばれる現象で、これは宇宙に物質がなくならずに存在している理由を証明するものです。
それが二人の理論通りに動いていることを実証し、ノーベル賞の受賞に大きく貢献したのが高エネルギー加速器研究機構にあるBファクトリーという加速器でした。
そして2001年、研究者と技術者が力を合わせて2001年に「CP対称性の破れ」を確認しました。理論発表から30年経って小林・益川理論がようやく証明されたのです。
前回の南部陽一郎博士も、今回の両名も、発表からかなり年月が経っての受賞でしたが、それは科学技術が進歩して、早期に発表された理論の正しさが近年になってようやく確認できるようになったからです。
益川博士は2021年に亡くなりましたが、生前のインタビューで二人の興味関心が一致していたのはこのときだけだったと述懐しています。同じ研究室の先輩と後輩にあたるお二人ですが、ノーベル賞受賞後は別々の道を歩み始めたとのこと。
ちなみに小林・益川理論の現在の引用回数は計1万1000回以上に達し、通常のノーベル賞受賞者の引用数(2〜3000回)をはるかに上回り、現在の素粒子分野ではトップクラス(上位1%以内)だそうです。
(ミカドONLINE 編集部)