ノーベル賞日本人受賞者(23)梶田隆章教授は何をした人?~2015年(平成27年)に物理学賞を56歳で受賞~

    みかドン ミカどん

    2015年のノーベル物理学賞は東京大学宇宙線研究所長の梶田隆章教授が受賞しました。今回はニュートリノの「ざっくり解説」も含め、同教授の受賞についてご紹介をいたします。

    ニュートリノに関する発見でノーベル物理学賞

    (画像:東京大学

    2015年のノーベル物理学賞は東京大学宇宙線研究所長の梶田隆章教授(当時56歳)と、カナダ・クイーンズ大学のアーサーマクドナルド名誉教授(当時72歳)の二人が受賞しました。

     受賞理由はともに「ニュートリノが質量をもつことを示すニュートリノ振動の発見」です。

    ニュートリノというのは、素粒子と呼ばれているもののひとつで、大きく言えば量子の仲間です。原子核は陽子と中性子でできていますが、さらにその陽子や中性子を構成しているのが素粒子です。

    ニュートリノは、宇宙が誕生した時や、太陽や星の中、星が爆発を起こしたとき、そして宇宙から飛んできた粒子が地球の大気中の物質とぶつかったときなどに発生します。そのためこれを調べれば宇宙の成り立ちがわかると言われています。

    梶田教授は岐阜県飛騨市の旧神岡鉱山に設置された素粒子観測装置「カミオカンデ」で、マクドナルド名誉教授はカナダの観測装置で、大気中に発生するニュートリノをそれぞれ観測していました。

    二人は共同研究者ではなく、日本とカナダで別々にニュートリノを研究していましたが、今まで質量がないとされていたニュートリノに「質量がある」と考えられる証拠を同じころに見つけ、この発見がノーベル賞につながりました。

    ニュートリノとカミオカンデをざっくり解説

    ニュートリノはイタリア語で「電気を帯びていない+小さい」という意味があり、上の図ではクオークという名前で示されている素粒子のひとつです。

    素粒子がお互いに結びついたり、原子を構成し、やがて結合して分子になっていく過程には、電気的な引力や電子の共有など、電気の力が必要です。

    ところが、ニュートリノは極端に小さく電気的にも中性なので、他の素粒子と反応することがほとんどありません。そして他の素粒子から影響を受けることもありません。あまりにも小さすぎるニュートリノにとって現実のこの世界は、障害物が何もないのと同じ状態なのです。

    ビッグバンでできた宇宙には大量のニュートリノがいたるところに存在しており、私たちの生活空間でも1ccあたりに100個はあると言われています。つまりニュートリノはその辺に普通にウヨウヨしている素粒子です。

    ですがその特性から、私たちのからだだけでなく地球さえも簡単にすり抜けてしまうニュートリノは、実体をつかまえるのが非常に難しく、ごく稀に水分子とぶつかって起こる偶然の反応を奇跡的にとらえたのが、地下1000メートルの鉱山坑跡に3000トンの水(純水)と超高性能の装置を設置したカミオカンデ(初代)でした。

    この大掛かりで巨大な装置を考案してニュートリノの観測に世界で初めて成功した小柴昌俊教授が2002年にノーベル物理学賞を受賞していることは、先の記事でも書いた通りです。

    (参考過去記事)ノーベル賞日本人受賞者(11)小柴昌俊博士は何をした人?~2002年(平成14年)物理学賞を76歳で受賞~

    先人の功績の上に花開いた成果

    (画像:Wikipedia

    2015年にノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章教授は、前述した小柴昌俊教授と師弟関係にあります。

    小柴教授の指導の下でニュートリノの観測を行っていた梶田教授は、実際に観測されたニュートリノがそれまでの理論とは大きく異なっていることに気が付きました。

    梶田教授は当初、自分が設計した観測プログラミングのバグではないかと思い、何度も確認しました。しかし、そうではないと確信するに至り、この件を師匠と仰ぐ小柴教授や戸塚洋二教授(後述)に相談したそうです。

    すると二人から「何かが起こっているのかもしれない」という好意的な反応が得られたため、研究成果を論文にまとめ、勇気を出して発表しました。

    それは従来の学説を大きく覆すものであり全世界に衝撃をもたらしましたが、梶田教授は弟子の自分が間違えると指導者である両氏の信頼も失ってしまうため、何事にも大変慎重になったそうです。

    ですがそれは杞憂に終わりました。梶田教授の発表ではスタンディングオベーションが起こり「おめでとう!(これで)ノーベル賞だな」という言葉が届いたとのこと。

    梶田教授のもうひとりの指導者だった戸塚洋二教授は2008年に大腸がんで亡くなってしまいましたが、戸塚教授はすでに世界に名の知れた研究者だったため、梶田教授は受賞後のインタービューで「生きていれば戸塚教授がノーベル賞だったはず」という主旨の発言をされています。

    そしてこの発見はカミオカンデ建設の従来の目的(陽子崩壊の研究)を捨ててニュートリノの研究に一発方針転換した師匠、小柴教授の決断の賜物でもあります。小柴教授はなかなか成果が得られない陽子崩壊よりも、今ならまだ世界に向けて一番乗りの勝機が望めるニュートリノに大きく舵を切ったのです。

    ノーベル賞は輝かしいものですが、その功績は先人から引き継いだ研究の上に成り立っているということを改めて意識した、梶田教授の受賞でした。

    (ミカドONLINE 編集部)


    参考/引用:ノーベル物理学賞に梶田教授とマクドナルド教授 ニュートリノの「型」変身の兆候発見/BBCニュース ニュートリノって何? |/スーパーカミオカンデ 公式ホームページ 「間違いの原因を知りたくて」がノーベル賞に/日経ビジネス電子版 など