受賞理由は、「免疫抑制の阻害によるがん治療法の発見」です。本庶教授は体の中で外敵と戦う免疫の仕組みを利用する、新しいがんの治療法を発見したことでノーベル賞を受賞されたのです。
一方、ジェームス・アリソン教授も本庶教授とは別に免疫療法の可能性に気づき、最終的に二人の研究は免疫チェックポイント阻害薬の開発に結び付きました。
免疫系は細菌や病原体など自分ではない「異物」を発見すると攻撃して取り除き、人間の体を病気から守ってくれます。その一方で免疫系は自分自身の組織を攻撃することがないように自己防衛機能を持っています。けれど一部のがんはこの「ブレーキ」を悪用し、免疫システムの攻撃を逃れているのです。
アリソン教授と本庶教授は、このブレーキを動かすたんぱく質を阻害することで、免疫システムによるがん攻撃を可能にする方法を発見し、その結果、以前は治療できないとされていた進行性のがんに対する新薬の開発が可能になりました。
やがて本庶教授の研究からは「オプジーボ」、アリソン教授の研究からは「ヤーボイ」という薬がつくられ、進行性の皮膚がんの患者さんから臨床での活用が開始されました。
「オプジーボ」と「ヤーボイ」はともにT細胞のブレーキとして働くものの、その作用機序はまったく異なるため、両方を併用することで効果が高まると期待されています。
ずば抜けた学力、英語力、そして血筋とタイミング
本庶教授は1942年に京都市で生まれ、小学校から高校までを山口県宇部市で過ごし、京都大学医学部に入学しました。
飛びぬけて学力が優秀だったらしく、高校時の全学年統一テストで1年生ながら全校で10番以内、また中学3年生を対象にした高校受験のための全国模擬試験でも、中学1年生のときに県内で10番以内に入っています。
本庶教授は中学2年生の頃、「将来英語は必要になるから」という父親(当時、山口大医学部教授)のすすめで、ハワイ出身の日系人に英会話を習い始めました。
約5年間これを続けたことで、高校を卒業する時点で英語がペラペラになり「その後あらゆる場面で英語の心配をせずにすんだ」と振り返っています。
今なら、英語を滑らかに話す高校生はちっとも珍しくありませんが、親が医学部教授という恵まれた家庭だったことを考慮しても、地方在住の60年前の高校生としては飛び抜けた存在であったことは確かです。
医学に興味を持た本庶教授はやがて、治療に束縛される医師よりも研究者のほうが自由度が高く自分に向いていると考え、そこから研究生活に入ります。
代々お寺の血筋である本庶家はものごとを突き詰めて考える人材が多いらしく、ノーベル賞受賞に際しては「両親から受け継いだ遺伝子と数々のいいタイミングが重なったことが自分にとっての幸運」と述べていることが印象的でした。
(ミカドONLINE 編集部)
参考/引用:2018年ノーベル生理学・医学賞:がんを攻撃をする免疫のブレーキを外す新たな治療法を発見した本庶佑氏らに – 日経サイエンス ノーベル賞・本庶氏「さまざまなタイミングがマッチした」 | m3.com ここまですごい!ノーベル賞・本庶さんの素顔 : 読売新聞