ノーベル賞日本人受賞者(20・21)赤﨑勇教授と天野浩教授は何をした人?~2014年(平成26年)物理学賞を85歳と54歳で受賞~

    みかドン ミカどん

    今回は日本人がいっきに3人も受賞した2014年ノーベル物理学賞から赤﨑勇教授と天野浩教授についてご紹介します。このお二人は師弟関係にある共同研究者で皆があきらめてしまった研究を延々と継続したことが受賞につながりました。

    青色LEDの発明によって世界の照明事情が変わる

    (画像:ケムステ

    2014年のノーベル物理学賞は3人の日本人が同時に受賞し、日本中が大いに沸きました。

    授賞理由は「高輝度、省エネルギーの白色光源を可能とした高効率青色発光ダイオードの発明」です。

    以下の過去記事にあるように、明るく自然な白色光を出すためには、光の三原色である赤と緑と青に光るLEDが三色すべて揃わないと成り立ちませんが、このうち青色のLEDだけがなかなか実現できていませんでした。

    (過去記事)LEDってそもそもなに?〜照明のカバーを外してみると?〜

    しかし今回物理学賞を受賞した3人の研究者の発見によって青色LEDの生産がついに可能になり、それが世界の照明事情を大きく変えるものとして高く評価されました。

    この3人の功績についてスウェーデン王立科学アカデミーは以下のようにたたえています。

    「LEDランプは、配電網を利用できない世界中の15億人以上の人々の生活の質を高めるためには極めて有望です。消費電力が少ないので、地方の安価な太陽光発電の電力によって駆動できます。」

    これを読むと3人の発明は単に青色のLEDを実現させたことよりも、それによって白色のLEDランプが可能になり世界中に大きな恩恵を与えることが評価されたのだとわかります。

    赤﨑教授は皆があきらめ離脱してひとりになっても研究を続けた

    3人の受賞者のうち、赤﨑勇教授と天野浩教授は師弟関係にあり名古屋大学で共に開発に携わってきた共同研究者です。

    赤﨑教授は鹿児島生まれで京都大学の出身ですが、卒業して2つ目の勤務先であった松下電器東京研究所で電気や光学の分野で目覚ましい業績を挙げ、その過程でLEDの中で青色だけがまだ実現していないことを知りました。そして青色LEDの研究を自分の課題にすることに決めました。

    赤﨑教授が素材に選んだのが窒化ガリウムです。

    当時は青色LEDの候補として炭化ケイ素やセレン化亜鉛などが挙げられていましたが、光度が弱かったり劣化しやすいなどの欠点がありそれを誰も解決できていませんでした。

    赤﨑教授が選んだ窒化ガリウムも光を出す素材としては物質的に優れているものの、高品質の結晶を作る技術が存在しなかったことやLEDに不可欠なp型窒化ガリウムを作れないという致命的な問題がありました。

    そのため窒化ガリウムの研究者は次々と離脱していき、青色LEDの本命はセレン化亜鉛という見方が大勢を占めるに至っても、それでも赤﨑教授はあきらめずに研究を続けました。

    ちなみに赤﨑教授がある程度の成果が出たときに国際会議で発表をしても反応がまったくなく、専門の学会なのに窒化ガリウムで青色LEDを研究しているという論文もゼロだったそうです。

    教授はそのとき窒化ガリウムで青色LEDを目指しているのは自分ひとりしかいないことを知りますが、それでも可能性を信じ続けて研究をやめませんでした。

    天野教授は研究室にひたすら籠って2年で1500回の失敗を繰り返す

    (画像:名城大学

    赤﨑教授は1981年に古巣の名古屋大学に教授として着任し窒化ガリウムの研究を本格化させました。

    その研究室にやって来たのが大学院生だった天野浩教授です。当時はアップルやマイクロソフトの登場でパソコンが普及し始めていましたが、ディスプレイはブラウン管だったので奥行きがあって重く消費電力も高いものでした。

    そんなときに「フルカラーのLEDディスプレイに欠かせない青色LEDを開発できれば有名になれるかも?」という多少の本音も抱きつつ赤﨑教授のチームに加わった天野教授でしたが「基板の開発がこれほどまでに難しいとは、当時は思いもよりませんでした」とのちに述懐しています。

    しかし窒化ガリウムの結晶を作る実験は天野教授にとって興味の尽きないものだったらしく、実験装置の温度調整機能の不具合がきっかけで天野教授が偶然にきれいな結晶をつくることに成功するまで飽きずに実験をやり続け「2年間で1500回の失敗を繰り返した」そうです。これは1日2〜3回、年間を通してほぼ毎日実験し続けないと出せない数字なのですごいですよね。

    その背景には、なんとか結果を出して論文を仕上げ博士号を取りたいという執念もあったようですが、この成果を機に二人はやがてある方法によってp型窒化ガリウムの製造にも成功し、不可能と思われていた窒化ガリウムによる青色LEDの開発で世界を驚かせることになりました。

    赤﨑教授と天野教授の関係と役割分担は、赤崎教授が唱えた仮説を天野教授が実働部隊として実験で実証するものだったと思われますが、研究者界隈では「結晶屋」と呼ばれているらしい結晶系化学者たちのあくなきチャレンジには頭が下がります。

    天野教授の恩師である赤﨑教授は2021年に92歳で亡くなりましたが、米国でエジソン賞を受賞したときに「persistent researcher」( パーシステントリサーチャー、不屈の研究者)」と紹介されているとおり、世間の潮流に流されることなく初志を貫いたことが大きいな結果につながりました。

    次回は2014年に赤﨑・天野両教授と共に物理学賞を同時受賞した中村修二教授についてまとめてみます。

    (ミカドONLINE 編集部)


    参考/引用:世界を照らす窒化ガリウム(GaN)青色発光ダイオード(LED)/名古屋大学 –応用物理学会 【そこが知りたい家電の新技術】ノーベル賞受賞者の天野氏が語る「LEDの可能性と照明の未来」 – 家電 Watch 2014年ノーベル賞受賞の青色発光ダイオードの発明、LED照明の普及とこれからの展開(PDF)  など