ノーベル賞日本人受賞者(8)大江健三郎氏は何をした人?~1994年(平成6年)文学賞を59歳で受賞~

    みかドン ミカどん2022年10月現在での日本人ノーベル賞受賞者は28人です。ですがいったい何をした人なのかよくわからないという方も多いのではないでしょうか?今回は日本人8人目のノーベル賞受賞者 大江健三郎氏 です。

    日本では好みと評価が大きく分かれる作家

    大江健三郎さんはノーベル文学賞を1996年(平成6年)に59歳で授賞しました。川端康成氏の受賞から26年後のことで、日本人でノーベル文学賞を受賞した作家は今までのところこの2人だけです。

    授賞理由は、「詩的な言語を使って、現実と神話の入り交じる世界を創造し、窮地にある現代人の姿を、見るものを当惑させるような絵図に描いた」というものでした。

    具体的には『個人的な体験』、『万延元年のフットボール』、『M/Tと森のフシギの物語』、『懐かしい年への手紙』などが評価されたようです。

    しかし文学賞を最初に受賞した川端康成氏に比べ、読みにくく難解なイメージがあり政治的な発言も多かった大江氏の受賞に関しては国内で賛否両論がありました。

    日本の山奥のどこかで起こる通常はあり得ない話を、嫌悪感を持つぐらいとことんリアルに描く同氏の奇譚的な初期の作品はグロテスクリアリズムと呼ばれる一方、障害を持つ長男が誕生してからは作風がガラリと変わるなど、体裁や辻褄を無視する極端な制作スタイルや筋立ては今も読書家の好みや評価を大きく分けているようです。

    子どもの頃から圧倒的な読書量

    大江健三郎氏が小説家になったきっかけは、東京大学文学部仏文学科在学中に学園祭の懸賞小説に応募したことです。

    その小説『奇妙な仕事』が入賞して東京大学新聞に掲載されると、それを読んだ著名な評論家が全国紙で作品を絶賛。それ以後、大江氏のもとには文芸雑誌から注文が殺到するようになりました。

    そして翌年には早々と『飼育』で芥川賞を受賞し、石原慎太郎や開高健らとともに第一次戦後派文学の後継者として文壇に認められました。

    その後大江氏は歴代最年少で谷崎潤一郎賞を受賞したほか、野間文芸賞、読売文芸賞などを総なめにし、海外での評価も高まってついに1996年、日本人で二人目のノーベル文学賞受賞に至りました。

    子どものころから本の虫だった同氏は、中学生の頃にはすでに徹夜で読書をするぐらいに小説にのめり込んでいましたが、それを心配した両親が本を木箱に密封してしまうと「本を読ませてくれないなら僕はご飯を食べない」と言って抵抗したり、村の公民館にあった本を全部読み尽くしてしまうなど、大江氏の才能は小さい頃からの圧倒的な読書量を土台にして開花したことがうかがえます。

    作家が認める作家

    読書家の間では評価が分かれる大江健三郎氏ですが、同氏を評価する日本人作家が多いのも事実です。

    川端康成のノーベル賞を祝うために駆け付けた三島由紀夫氏は居合わせた記者から「次は三島さんですね」と言われて「次は大江君だよ」と返した話は有名です。

    また芥川賞の選考委員だった川端康成氏も受賞者選考の過程を振り返って「今回の大江氏受賞には、率先して賛成である」と全面的に賛同しています。

    通常、芥川賞の選考委員は手放しでただ受賞者を褒めることはあまりせず、たいていは課題点にも言及して今後の改善を期待するのが常ですが、川端氏ほどの作家がもろ手を挙げて承認しているのを見ると、大江健三郎という作家はプロが認めるプロと言えるのかもしれません。それは同氏が持つ”非常識”への羨望のようにも思われます。

    大江氏のノーベル賞受賞は、ダンテ、ラブレー、バルザックなど西洋文学の影響を色濃く受けていることや、同氏の描く世界観が印欧語に翻訳しやすいことなどを掲げる人もいます。

    今もネット上には「良さがまったく分からない」という意見と「ノーベル賞に値する素晴らしさ」という相反する意見が入り乱れていますが、ひとつひとつに目を通してみると、ストーリー展開や人物描写よりも、行間から漂う独自の世界感を小説に求める読書愛好家に肯定的な評価が多いようです。

    若い頃『同時代ゲーム』や『芽むしり仔撃ち』を数ページで挫折した私ですが、今なら当時とは違う感覚で最後まで読み進めることができるのかもしれませんね。

    (ミカドONLINE 編集部)


    参考/引用:大江健三郎さんがノーベル賞を取ったのは、主にどの作品をどのように評… – Yahoo!知恵袋 【大江健三郎】現代日本文学の牽引者【ノーベル文学賞】 – YouTube など